~ダイスケの部屋~


 「努力」 

 




 谷大先生に、読み手の事を考えていない文章だと指摘をされたので、ある
時点から分かりやすさを考えて、抽象表現を例示などに変えるなどしてみた。
まだ難しいとのお言葉があったので、文章を短くしてみる。
要素を減らすことで、読み手の負担を減らそうと言う作戦である。
#これで既に数行消費している。長くなっているのは枕のせいか?(笑)


 僕は、どちらかというと努力と呼ばれる物が好きではない。ストイックな
性格ではないし、努力をアピールするような行為もあまり好きではない。
#逆に他者の努力はすごいな、と思う
高校生くらいまでは努力が評価されたりするけれど、社会人になれば
必ずしも努力だけで評価される訳ではないことは、学生の時から知って
いた。むしろ、学生の時にズルだと言われるようなことがまかり通って
いる。ある程度平等な評価を受けることが出来るはずの、努力のしがいが
ない世の中と言えなくもない。


 もっとも、世の中は不平等だ。そして、不平等は決して異常ではない。
恵まれた能力の人が、悠々と上を行く。生物学的にも当たり前の話だ。
当然、チャンスは平等にあった方が良いと思うが、結果が平等になった
ほうが良いというわけではない。実際には、チャンスですらお膳立て
しなければ平等ではない。

 勘違いして、結果を平等に、なんていう原始共産主義的(例え。念のため)
な人もいて、ビックリする事がある。
#特に、子供相手の時。子供を甘く見ていると感じる
結果が平等であれば、競争に意味がなくなる。競争に意味がなくなれば、
努力の意味もまた無くなる。例えば全員1位と言うと聞こえはいいが、
より上位を、1位をめざして頑張っている人の努力はどうやって評価
するのだろう。全員1位も全員最下位も、内在しているものは一緒だ。
結果が平等の方が乱暴で、文化的ではないと思うが、どうだろう。


 武術に限らずそうだが、何か目標がある時、そのための準備が必要となる。
目標が高く、遠いほど準備の工程は複雑となり、時間がかかる。時間を
短く設定したり、最後に取って付けたように処理しても、完成度は決して
上がらない。軌道修正は(しなくて済むなら)しない方が結果の精度が高い。

 周りからどんなに大変に見えていても、僕は準備という物は、単なる必要な
工程位に考えている。これは努力に当たらないだろう。また、工程は
知りたい人には伝えるけれど、見せびらかす必要はないと考えている。

 努力は馬鹿に与えた夢、なんて言葉もある。馬鹿と言う言葉を良く捉えるか
悪く捉えるかによっても意味が変わってくるが、僕はこの意見には賛成
である。これは努力だ、と言う意識がある内は、努力はしない方が良い
ように思われる。







 
                                
                                      


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