~ダイスケの部屋~


 「下関の思い出(その5)」 

 




 先生の印象ばかり続いてしまうが、一人出した以上、他も書くの
が筋だろう。知らない人は面白くもないだろうが、平にご容赦。

 松原先生には、昼間から杖道の稽古につきあって頂き、細かい部
分を教えて頂いたり、直していただいたりした。木刀の作り方や、
焼印なんかについても詳しく教えていただいた。お昼には、地元の
食堂に連れて行って頂き、ちゃんぽんを一緒に食べた。
それまで、和さんも僕も、ちゃんぽんと言えば長崎で、下関でもち
ゃんぽんを良く食べると言うのは知らなかった。ラーメン屋がない
なぁ、位の認識だったし、そもそも夜は疲れ果てて寝ていたので、
気がつかなかったのだ。

 稽古以外で鮮明に覚えているのは、食べ物の話ばかりである。
恐らく、彦島の夜が早く、文字通り真っ暗になる場所すらある所に
原因があろう。飲みに行きたくても、下関駅前しか知らなかったし、
そこまで行くならコンビニに買出しをして部屋で飲む、と言う感じ
だった。

 稽古中で一番印象に残っているのは、実は稽古の内容ではない。
塩川先生の道場でも、江ノ浦小学校でもそうだが、稽古の合間の休
憩時間の事だ。当然何をやっても自由であるが、おもむろに一部の
人間が玄関の近く、あるいは外に出て煙草を吸い始めるのである。
その筆頭に松原先生がいた。東京では稽古中の喫煙を見たことが無
かったので、かなりビックリした記憶がある。
今思えば、塩川先生に至っては常にビールを飲んでいた訳で、割と
そう言ったことにうるさくない環境であったと言えよう。


 嶋田先生は、今と印象が変わらない。非常に腰が低く、東京から
のお客さん、という感じで丁寧に、親切にしてくれた。本当にいい
先生である。

 明確に記憶が残っているのが、初めて会って、新下関の道場に連
れて行ってもらった日の事だ。塩川先生の道場から、嶋田先生に車
を出してもらって、新下関の道場まで乗せて貰うことになった。こ
れだけでも恐縮しっぱなしである。当然お互いあまり知らないため、
言葉の魔術師、和さんを持ってしてもイマイチ車中が盛り上がらな
い。
#男性相手だから本気を出していなかったせいもあるだろう(笑)
この状況で、だめ押しのようにBGMがクラシックだったのだ。
#当時、嶋田先生はクラシックに凝っていた

 ずっと稽古していて疲れた体に、車の振動。盛り上がらない会話
にBGMのクラシック。当然のごとく睡魔が襲ってくる訳だが、失
礼があってはいけないし、当然寝ることは出来ない。ある種の拷問
であった(笑)。
#現在は、嶋田先生はある種の落語に凝っているらしい。多趣味で、
#かつ個々を掘り下げるのが好きな先生である

実は稽古になると豹変するのだが、それはまた別の機会にでも(笑)。


 岩目地先生はステルス性が高いため、当時は正当に評価できなか
った、と今になって思う。例えて言うならば、F-22みたいなもので
ある。皆の評価は高く、群を抜いて精度が高い動きをしていたが、
通り一遍のような内容しか聞き出せなかったし、見抜く事も出来な
かった。当時はそれで十分であったとも言える。
当時、もし本質が見えていたら、飽和を超えて溶解出来ず、さらに
勝手に突沸していたであろう(適当)。

 後日(ダース・ティラヌスに対した時のヨーダのような)本質の一
部が見えたときの、ギャップから来る衝撃は凄かった。
凄いと思っていたのに、まだまだ見る目が無く、凄さの本質が見え
ていなかった訳である。







 
                                
                                      


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