~ダイスケの部屋~


 「名前」 

 




 物自体は残らなくても、名前が残るものは多い。だからこそ
名前は大切にする人が多く、簡単に変えるべきではない。例えば会社や
学部などの名前は割と簡単に変ったりするが、それでは本質を表さなく
なったり、分かりにくくなると推測される。名前を変えることに抵抗
しようとする人が、思ったより少ないのは不思議である。


 武術において、形の名前は意味があって付いていることが多いが、
必ずしも明確なものではない。その流派を学んだ人には意味が
分かるかも知れない、と言った程度である。

 なおかつ、意味が所作の中から直接的には伝わってこない場合が
ある。例えば夢想流杖術の「太刀落」。落とす、落ちると言う言葉
のニュアンスによって変っては来るが、直接的に太刀が手を離れて
落下する所作は無い。
#そもそも、太刀を持ってないではないか、と言う話も(笑)

 「笠の下」なんかは笠をかぶっているから、という説明でなんと
なく納得するものの、檜笠なのか陣笠なのか、いくらなんでも虚無
僧笠と言う事はないだろうが、はたまた修験道の頭巾ならそもそも
形が制約を受けるほどの大きさでは無いではないか、等々。
仮に大きな笠だった場合、最初は良いものの、形の途中は動作が
これで良いのか、と考えればきりがない。

 「一刀」に至っては、流派外の人は正しく読めないであろう。
これは「いちりき」と読むのである。元々こうだったのか、伝承の
課程で書き(写し)間違えたのか。まさか、誤読で口伝が変ることは
無いとは思うが。
武術においては、形の名前は結構音で覚えていたらしく、書き
間違えは多々ある。しかし、同音でない書き間違えは比較的少ない。
#例えば、ある流派の「払捨刀」が、派生した流派では「星夜刀」
#になったりする。「ほっしゃ(ほしゃ)とう」と「ほしやとう」と
#聞くと、まるで駄洒落のようだ。後に「せいやとう」と読み替え
#たりしていると、もはや原形を留めておらず、訳が分からなくな
#る。。


 言葉の意味や文化が変わっているくらい昔につけられた名前の
奥にある意味を考えるのは、いわゆる浪漫に近いもので、具体的な
新発見は(現在に至っては)ほぼありえない。しかし、歴史学的、
民俗学的考察などにはなりうるかも知れない(微妙)。こう言った
ことを真剣に考えている人がいると言うところが、趣味の面白い
部分の一つだろう。







 
                                
                                      


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