~ダイスケの部屋~


 「言葉の力」 

 




 誤解の原因の一つに、言葉の力、と言うものがあると感じる。
状況や前後の因果関係は忘れ去られ、言葉のみが抽出されて残って
いたりする。「確かにそうは言ったけれど」という奴である。
軽口などによる舌禍事件は、大概本人の想像しない大きさに変化す
る。
#尾ひれがついて、言ってもいないことが伝わったり、本来無かっ
#た周辺の状況が捏造、付加されて言葉の意味が大きく変ったりす
#る事も結構あるが。。


 意図的に誤解を誘導しなくても、言葉で伝えきれないものも存在
する。この手の事柄を言葉で伝えようとした場合、ボキャブラリー
や表現手法の少なさに悩むこととなる。そもそも、表現を放棄する
人もいる。

 例えば、自転車はなぜ倒れないのか。セルフステアリングという
言葉もあるようだが、簡単に言うとキャスタ角による直進安定性の
上昇や、傾く方向へハンドルが切れる、前輪のジャイロ効果が原因
として挙げられる。
重心位置による慣性モーメントの増大や、場合によっては倒れよう
としない、人の意志(反射)も挙げられるかもしれない。
読んで、意味が分からん、と思った人は普通。個々は原因の一部と
して挙げられるかもしれないが、実際にはそれらを意識して乗って
いる訳ではない。倒れないのは、単にデザインされている結果によ
る所が大きい。


 直接的な言葉で伝えることを放棄した場合、当然伝えきれない可
能性が存在する。よって、代わりに抽象的な文章なり、映像なり、
口伝なりにして、残そうとする「意志」を伝える。しかし逆に、見
て覚えろ、なんて行為も見受けられる。変に言葉で覚えるよりも身
体で覚えろ、と言う徒弟制度的な思考である。
#自転車ならば、何度も転んで覚えろ、と言った所か
(例えば形などの)元のデザインがしっかりしていれば、どんな方法
論でも行き着くところは一緒のはずである。

 情報過多の世の中であるし、どうしても結論を早期に欲しがる人
は多い。グレーゾーンを許さず、必ず白黒はっきりさせたがるのは
若者だけでは無いように感じる。しかし、その場限りのこういう条
件で、と言うような前提がない限り、はっきり白黒が言えることは
少ない。どうしても言葉にしなければならないのであれば、無責任
に言っている前提で、その瞬間の思考を伝えるしか手はない。


 言葉は照明のようだ。あった方が見えやすくはなるが、ありすぎ
るとまぶしくなり、かえって見えにくくなる。明確な光があると、
当然陰も出来、見えにくい所が出来る。また暗闇と違い、見る努力
をしなくなる。光の方向からの見え方のみが論じられ、他の方向か
らの見え方が放棄されたり、うとまれたり(面倒臭がられたり)する
場合もある。陰影を意図的に強調したり、潰したりするのにも使わ
れるし、影を消すために複数の光源を用意したりもする。光源の特
性によって見える色、印象が変わる事もある。

 それでも人は光を求める。基本的には嫌光性ではないようだ。こ
れは本能、習性といってよいだろう。







 
                                
                                      


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