~ダイスケの部屋~


 「インプットとアウトプット」 

 




 入出力、と書くと僕の中ではなんとなく電気的な意味合いが強く
感じ取れたので、カタカナにしてみた。あまり意味はない。

 武術におけるインプット、アウトプットは必ずしも言葉、文字に
よるものだけではない。擬似的なものやデフォルメしたものを利用
した体感、感覚的なもの、画像や動画を含めたビジュアル的なもの、
その他多岐に渡る。特に古武道と言われるものは、代々伝えていく
コンテンツが大事であるし、インプット、アウトプットはある程度
以上に重要、必須と言える。


 自分の中に蓄積したものが無ければインプットが大事だ。最初は
我というフィルタをかけずにどんどん蓄積していくのがよい。師範
が複数人いる場合は特にそうだ。こだわり無く、全て受け入れる事
で結果的に情報へバイアスがかからず、一般解にたどり着きやすい。
またその姿勢は素直であると受け止められるため、特別な情報が得
られる場合があるかもしれない。これは嫌らしいか。

 情報にバイアスがかかり、結果的に特異解にたどり着いてしまっ
て、それを唯一の解のように考えている人もいたりする。それはそ
れで解であるし、過程などを考えると非常に興味深い。ただし、そ
れは唯一絶対のものとして代々伝えていく必要はない気がする。

 アウトプットが必須となるのは、基本的に師範以上かな、などと
漠然と考えている。自分の中で整理されていないものをアウトプッ
トしたところで、コンテンツが正しく伝えられるとはとても思えな
いからである。いわゆる守破離の破以上が相当と言えよう。


 大人になってからの学習は、日本のほとんどの学生と違って自主
的に行うものだ。最近再認識したのだけれど、インプットは単純に
楽しい。おそらく、自ら欲するものを欲するだけインプットするの
で、つまらなく感じる要素が無いのだろう。
 ただし、眠くなる事がままある。退屈しているときやご飯を食べ
た後などの眠さと感覚が違うので、おそらく脳が疲れて休息を求め、
結果的に眠くなっているのだろう。

 比べてアウトプットは楽しくないし、疲れる。ただし、こちらは
よほど続けない限り眠くはならない。おそらく、伝えようと緊張を
しているし、伝えるべき相手の思考をトレースしたりもしているか
らだろう。しかしほとんどアウトプットですらない、でもアウトプ
ット寄りの単純作業は、逆に楽しく、またなぜか達成感もある。こ
れまた眠くならない。ただし、これは脳を使っていない気がする。
学習効果は少ないかもしれない。


 アウトプットが終わると、大概虚脱感に襲われる。達成感はない。
アウトプット自体の疲労と、何より自らの伝達能力の限界を感じ、
場合によっては後悔、反省すらしているのだ。伝えたいことの10%
も伝わっているかは疑わしい。効率的な伝達手段があればすぐにで
も利用するだろうし、とりあえずは伝達が得意な人に任せる事で虚
脱せずに済む。少なくとも僕の能力では、今後も100%伝えきるこ
とは不可能だろう、と諦めているし、不得手であると認識している。


 下手をすると初心の内、あるいは中級者位でもアウトプットを好
んでやっている人も居て、偉いなぁ、と思う。彼らは疲れないのだ
ろうか。僕は、基本的な「お約束」を口にするのがやっとだ。これ
であれば、伝わらなくても、何度でも同じことを言えば良いからだ。

 もしかしたら、疲れを取ると称して、疲れてぐっすり眠るために
お風呂に入るようなもので、疲れによる擬似的な充実感を得るため
にアウトプットをしているのだろうか。お風呂と違って血行は変わ
らないし、身体に良いとは思えないけれど。







 
                                
                                      


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