~ダイスケの部屋~


 「客観視」 

 




 またもやこの間の大会の話で恐縮だが、決勝戦の呼び出しをさせ
ていただいた。以前余所の大会で見て以来、印象に残っており、是
非試してみたかったのである。
大会の決勝で試すからには、念入りに準備を行った。まず自分の声
はマイクで声を張るには高音域の要素が多く、また鼻にかかりすぎ
ていて不向きであるため、安定して低音域の要素のみで張って喋
れるよう工夫をした。結構大変である。
さらに盛り上がるよう、空手等の格闘技系のイベントでのアナウン
スを見てみて、真似をしてみた。当然、原稿も用意した。
大会は太刀持ちもあったため、アナウンスは困難であった。何せ太
刀持ちをしながら次に喋るコメントを考え、試合が終わるや高音域
をカットしてアナウンスを行う。本職でないし、非常に苦戦したが、
なんとか最後までやり遂げることだけは出来た。

 結果はと言うと、苦笑を頂いただけであった。まぁやらないより
はマシといった所だ。自分としてはまぁリアクションを貰っただけ
でも上出来である。
と思っていたのは自分だけで、谷先生より不快感を表明された。具
体的に「気持ち悪い」との指摘を受けた。複数回指摘を受け、うち
一回は会議というオフィシャルの場で指摘を受けたので、冗談の要
素は全くないと思われる。片やアナウンスの行為自体は肯定されて
いたので、純粋に僕の声が気持ち悪かったと推測される。


 自身の声の気持ち悪さは自分では意識できないが、これは客観視
が足りないとも言える。録音したり、自分の声との認識をカットし
たうえで判断してやっと認識できるといった所で、困難ではあるが、
他者に不快感を与えるようでは問題がある。自身の能力を疑い、他
者との比較を行い、不快に思われないよう努力を行う。困難だが、
コミュニケーションを行う上では必要なことなのかもしれない。

最大のポイントは自身の能力の客観視、並びにより良いものを正し
く認識し、それを常に目指すこと、自分を磨くことである。
さらに努力の過程を人に見せないとより恰好が良い気がする。努力
自体を評価される事に意味はないし、そのフィルタがかかることを
期待して、良くないものを良いようにアピールする行為自体が恰好
悪いからである。


 武術において、特に他者と直接的(物理的)に接触をしなかったり、
高段者になってもっぱら指導に回ったりすると、自身の客観視がで
きなくなる事もあるようで、散見される場合もある。特に居合等、
相手と組手的な試合、稽古がないものに顕著である。
 逆に例えば空手や合気等、接触を伴って組手等の稽古をするもの
に自身の能力の誤解は少ないように感じる。武器術の一部は微妙だ
が、少なくも高段者や高齢者などといった形で遠慮されたりしない
限りは、自身の能力は他者との比較で、ある程度認識できるはずだ。

 ただし、自分の能力を疑ってかからない場合は例外だ。この場合、
悪いのは他者であり、自分は完璧であると認識することも可能であ
り、こうなってしまうともはや進歩、努力はない。巻物などにこの
魔力があるように見受けられる場合があり、怖いものだなぁ、と感
じる。


 しかし、僕は自分の術の未熟さも正しく認識できず、その結果二
十年近く稽古しても師範が満足するような術に近づけない。それだ
けでなく、声などのコミュニケーションでも人に不快感を与えてい
る。被害者を増やさないためにも、早々に武術団体への所属を辞め、
この世界からは足を洗った方が良いのかもしれない。
なんとか一貫堂のみには居続けたいものだが、これも周りに迷惑を
かけない範囲内で、という事になる。今から綺麗なフェードアウト
を考えておくべきであろう。







 
                                
                                      


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