エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(11)

 


 
 M新聞のI記者とは武蔵嵐山の駅で待ち合わせている。急がねば……。
 十二時少し前に武蔵嵐山駅から遠からぬ所の八百屋でレモンを買う。マサさんはビタミンCの補給だと言ってやたらとレモンを囓る。夜の新宿のマネージャー氏の差し入れが、ひどく気に入ったようだ。もっとも、この旅を終わってからは彼がレモンを囓るのはついぞ見たことがない。よって、一時の思い込みだったと私は断言する。
 いつものように、八百屋の親父に道を聞く。このまま国道を行っても駅に出るが、裏道を通ればもっと早いと教えてくれる。裏道! なんといういい響きの言葉だろう。
「まあ、二分と言うところだね」
 すると側から、おかみさんが、
「そんなに近くはないよ」
 と口を挟む。
「いや、二分、二分で絶対行く!」
 と親父さんは、断言する。

 教わった道を歩き始めたが、これがかなりひどい道である。小石がゴロゴロして歩きにくい。しかも、いくら歩いても駅には着かない。線路に沿って歩いているため間違うことはない。結局、なんと駅に着くまでに五十分も掛かってしまった。
 あの親父さん、いったい何を勘違いして二分といったのだろうか? いや、勘違いしたのは我々の方だったかも知れない…。
 どう考えても納得が出来ないため、地図を出して調べなおした。すると、やはり大変な遠回りだったことがわかった。国道を行ったほうがどれだけ近かったか知れない。
「馬鹿じたいは、悪ではない。しかし、はなはだ人迷惑だ!」
 とマサさんは毒づく。
 どこでどう間違ったのか分からない。おそらく意思の疎通が十分取れなかったのだろうと、格好をつけて私が臆面もなく言ってしまう。
「馬鹿言え!……」
 とマサさんは私に食ってかかる。こんどは私が馬鹿になってしまった。
 ともあれ、こういうことがあるから、人に道を聞くときは十分な注意が必要である。

 武蔵嵐山の駅に着いたのは、予定より大幅に遅れていた。I記者と、カメラマンのH氏が待ちかねていた。申し訳ない気持ちと、先ほどの事件で興奮気味のマサさんが、事の顛末を話す。私は怒られたばかりなので口を挟めない。すると、I記者はけっこう面白がって聞いているのだ。どうやらI記者はすべてお見通しのようだ。
 近くの食堂で昼食を取りながら取材に応ずる。どんな取材だったかは忘れてしまったが、喉が渇き、たまらなくなって注文したビール。この時のビールは本当にうまかった。本当にビールを美味しく飲もうとするなら、肉体的疲労と喉の渇きを必要とする。空調の効いた部屋で過ごしてビールが美味いわけはない。

 私がこれまで飲んだ最高のビールは、この時から遡ること約三年前のことだった。場所は伊豆七島の三宅島である。真夏の強い日射しの中、水も持たずに溶岩だらけで草すら一本も生えていない、赤場境の磯で半日釣りをした。午後の照り返す日射しを受けて、礫土の足を取られながら這うようにしてたどり着いたキャンプ地。売店に座って飲んだ、冷えたビールの美味かったこと!
 あの時も、今回と同じ三人だった。三本のビールを数秒で飲み干した。ビールをコップに注ぐのが間に合わなかったものだ。あれ以上のビールを今日まで飲んだことはない。
しかし、飲もうと思えば可能である。脱水症状が起こるまで我慢して飲めば良いだけだ。そうまでして、飲もうという気になれないだけの話しである。

 取材を終えて、I記者は東京へ。H氏は一緒に歩いて写真を撮ることになった。トレーニングウエアの上下にスニーカー、肩にはフィルムの入ったバックとカメラ二台。彼の奥方も車にて同行し、夫の仕事をヘルプする。
「今まで通りに歩いて下さい。適当に撮らせていただきますから」
 と、変に注文などつけないところが気持ちがいい。奥方は車でしばらく先に行き、来るのを待って、また先に行くという案配である。
 マサさんと私は、適当に休憩をとりながら歩く。H氏は、前になり後ろになりしながら写真を撮っている。そうかと思うと急に桑畑の中に走り込み、腹這いになってカメラを構える。
「なるほど……あれでなくては、いい写真は撮れない」
と、マサさんはしきりに感心する。彼はH氏から多大な影響を受け、それ以後、写真を撮るときの態度が一変した。崖をよじ登ったり、アングルを考え、土手下からカメラを構えるなど、いかにもカメラマン的な動きをするようになった。それともう一つ、フィルムの使用量が異常に増えた。

「おい…」
 急に、マサさんが腕を押し、小声でささやいた。
「クシャおじさんに似てないか?」
 なるほど、鍬を荷に台結びつけ自転車を押す人物は、クシャおじさんにそっくりだった。クシャおじさんと言っても分かる人は少ないだろう。当時、よくテレビに出ていた人で、口を閉じると下顎がクシャっとなって見えなくなり、愛嬌のある顔になるおじさんだった。「かなり歳を取っているから、さしずめクシャ爺さんか」
 マサさんはやけにこだわる。私は失礼だと思い前を向いて歩いていたときだ、
「あんたら、お茶でも飲んでいきなさらんか?」
 と先方から声を掛けてくれた。しげしげと見つめていた、マサさんと視線が合ったらしいのだ。
さすがの二人も躊躇していると、遠慮することはないから来いという。その言葉に甘えて行くことにする。
 彼の家は、道から少し入ったところにあった。古い家の軒先を通り抜け、新築したばかりの家へ案内してくれた。こういう田舎では古い家の方が趣があって良いのだが、そう言うわけにもいかない。

 クシャ爺さんは、奥で針仕事をしていた奥さん(おばあさん)を呼び出し、お茶を入れるように言いつけた。私とマサさんは、縁側に腰をおろし靴から靴下まで脱いでくつろぐ。これは大休止の構えであった。
 茶盆を前に老夫婦と、旅姿の二人が並んでいる様は、
「まるでディスカバージャパンのポスターみたいだ!」
 とカメラマンのH氏、おおいに喜ぶ。この時ばかりは、さすがの彼も注文をつける。
「すみません、奥さん、急須で注ぐところをもう一度やってみてください」
 もう湯飲みは茶で満たされ、急須は空になっている。しかし、このカメラマンが天下のM新聞専属だと事情を知った奥さんは、老いた顔いっぱいに愛嬌を振りまき指示に従う。クシャ爺さんも、潰れた下顎を突き出しポーズを決める。

 茶に関してはいささかうるさいマサさんをして
「この茶はじつにいいお茶ですね」
 と言わしめるくらい、おばあさんの入れてくれたお茶は旨かった。むろん茶の旨さは、葉っぱだけの問題ではない。入れ方に大きく左右される。
 ここで、マサさんがひとくさり。
「近頃、コーヒーについては、やれモカだ、ブルーマウンティンだとか、入れ方がどうだとか、一応のことは言うくせに、茶を満足に入れ味わえる日本人が少なくなったことは嘆かわしい」
 多少、おばあさんに対するお世辞も入っているに違いない。いずれにせよ、煎茶道とまでは言わないものの、茶を喫する心の余裕は欲しいものである。

 クシャ爺さんは話し好きだった。この新築の家は息子さんが普請したそうだ。息子さんは東京の有名な宮大工の所で仕上がってきたのだという。したがって農業は爺さんの代で終わり。今はもう。野良に出ても自分の所で食べる野菜を作るだけだという。
 二人が新潟まで歩くと聞いて、
「わしも支那ではずいぶんと歩いたものだ……」
 と当時のことを懐かしそうに語り出した。
 旧帝国陸軍は四十㎏近い重い荷を背負い、一日、四十㎞は歩いたそうである。また健脚隊というのがあって六十㎞も歩いたという。わが身を鑑みて恥ずかしい限りである。
 話しは弾み、軍隊の話しから若き日の思い出話に発展し、ついに爺さんとっておきのロマンスを聞かせてくれた。相手は新宿にいたらしい。
「それは、いい女だった……」
 爺さんは顔をクシャクシャにして、ひとり悦に入っている。どうやら我々のことなど眼中になく、思い出の世界へ浸りきっているありさまだ。

 クシャ爺さんの家を後にして、再びルートに乗って歩き始める。風景は良くなるし、元気も出た。爺さんの話に影響されて、マサさんと、どうすれば女にもてるか? などと話しながら調子に乗って歩いていたら罰が当たった。さっそく道を間違えてしまったのである。気づいたのは、かなり歩いた後であった。
 知らない間に東村山市に入っていたのだ。寄居に行くには方向が違う。ガッカリして、桑畑の中に続く道をすごすごと引き返していると、H氏が車でやって来た。先に行って待っていたが、いつまでたっても現れないので、おそらく道を間違えたのだろうと察したとのことであった。
「まあ、どうぞどうぞ」
「でも…」
「いいじゃないですか、歩いてきた地点まで戻るだけですから」
 間違えた元の地点まで車に乗せて貰うことになった。一時間はかかる道のりを、車だとわずか五分! 実に馬鹿馬鹿しい話しではある。
 この時は、多少気後れはあったものの、それほど大きな抵抗はなく車で歩いた地点まで戻った。徒歩による旅は繋がっているのだが、良くも悪しくも、後にこの方法が、大きく旅のあり方を変える切っ掛けになった。

 
 
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