エッセイ<随筆>




 よれよれ三人旅(22)

 


 
 連休明けの四日間は、仕事に忙殺された。職場には内緒の徒歩旅行であった。しかし、同僚は心配げに声を掛けてくれる。
「どこか、身体の調子が悪いのじゃないか」
「いや、別に…」
 疲労困憊しているだけのことだ。無論真面目に仕事をしているのだが、私自身は休日の疲れを仕事中に取っているという不謹慎さである。他の二人も同じようなことを言っていた。仕事は体力的には極めて楽だ。休日が近づくのが恐い!

 五月九日は、民宿に予約している訳だから早めに東京を発って現地に行かねばならなかった。ところが不運にも国鉄のストで足を奪われてしまったのだ。列車が動かないのではどうすることも出来ない。これは一種の不可抗力なので、民宿は快くキャンセルを受け付けてくれた。
 まあ、今晩がヤマ場で明日には解決するだろうという甘い予測をたてた我々は、横着にも新宿の歌舞伎町に繰り出した。仕事をしながら回復した体力を、歓楽街で消耗してしまうのは分かっていたが、“分かっちゃいるけど止められない!”である。
 行く先は、新宿の美女の努める高級クラブである。ほんとに高級なのか? 高級な証拠に客層が凄い。この日は総評(泣く子と総評には勝たれぬの、あの総評!)の幹部クラスがずらりと揃っていた。ホステスを相手に良い機嫌で大きなブランディーグラスを振り回している。テレビで見かける顔もいる。 
 世の中には我々よりも横着な人間がいるものだ! 総評幹部の席から、着物姿の新宿の美女が我々の席にやってきた。
「おい、あれは総評のなになにで、あれも……」
 すかさずマサさんが美女に詰問調で話しかける。
「ええ、そうよ」
 美女はごく普通に水割りを作り始める。
「おい、テレビじゃ国鉄のストで、交渉の真っ最中じゃないか! 国労、動労の上部団体が何をしているんだ!」
 マサさんは憤慨やるかたないようだ。
「ちょっと! 声が大きいわよ。あの人達は時間の合間をぬって飲みに来たんでしょ」
 新宿の美女は平然としたものである。追い打ちをかけるように、
「別に珍しくないわよ…いつものことなんだから…」
「いつもだと! あいつらの飲み代は、労働者から巻き上げた金じゃあないか!」
 マサさんは次第に興奮してくる。心配そうにミチさんが口を挟んだ。
「おいマサ、大きい声を出すなよ。どんな金でも、この店に迷惑を掛けるわけにはいかんだろうが…労働貴族というやつさ…」
 大人ぶってマサさんをなだめに掛かる。
「ミチさん、ついこの前、おたくの会社で組合と団体交渉があったんじゃないの? おたくの組合と会社側はまさか…」
 私がミチさんに突っ込みを入れる。
「うーん…まあな、大人同士の交渉だからな…どっちもどっちだが…」
 おかげで大人になりきれない私とマサさんは、この夜、悪酔いとあいなった。  

 翌朝になっても、ストライキ収束の情報は出てこない。労組もなかなか強気である。強気であろうが、巷間のちまたでおだを上げようが結構であるが、当方としては甚だ迷惑である。
 何らかの手段を講ずる必要に迫られた。そして、誰でもがすぐに考えつく結論に達した。私の車で現地まで飛ばすことにしたのだ。朝七時、二日酔いのていたらくで小雨の中を新宿西口から出発。これまで歩いた道をなぞるようにして川原湯へ向かう。
 川原湯に到着したのは、午後一時を過ぎていた。民宿に立ち寄りあずけておいた荷物を受け取った。もちろん、キャンセルしたお詫びの手土産を持参した。

 ただちに出発しなければスケジュールがどんどん狂ってしまう。ところが一つ新たな問題が発生した。車をどうするかである。まさかここに置いていくわけにはいかない。到達地点があらかじめ分かっているのなら、そこまで回送しておくこともできるが、今までの経験から、我々の徒歩旅行は歩いてみなければどこまで行けるか見当も付かない。
 かといって、このまま車で行くなどとんでもない話しだ! それが一番楽なのだが……。
 喧々囂々の意見を戦わせた。三人寄れば文殊の知恵という言葉もある。我々は、最良の結論に到達した。その方法を正当化する理屈と言い訳は、法律家であるマサさんの役目だ。
 弁護士は言い訳を商売にする職業と言っても過言ではないだろう。
「この旅の目的は、太平洋から日本海まで日本列島横断の徒歩旅行である。三人が協力して成し遂げるところにある。この協力という言葉が大切だ。三人が揃って歩き通さねばならないと言うことではない。もしそうであるならばこの旅は破綻している。なぜなら、ミチが組合との団体交渉で途中抜けて二人で歩いている。それぞれ各人の事情を乗り越え、協力して直江津の海を見ようではないか」
 我々は納得した。言い訳だの、堕落だの思う奴は思えばよい。我々は確実に納得したのである。

 三人分の荷物をすべて後部座席に積み込み、私は車をゆっくりスタートさせた。ミチさんとマサさんが手ぶらで歩いている姿がバックミラーに映る。その内ミラーには映らなくなった。もう少し行ったら彼等の到達を待つために路肩に駐車することになっている。
 こうやって進んでいく。まるで尺取り虫のようだが、今までと打って変わって距離が稼げる。人間はこうやって進歩(堕落?)するのだと納得する。
 我々三人の内、車の運転が出来るのは私とマサさんである。したがって交代で運転することにした。ミチさんは、自動車教習所を卒業して以来ハンドルを握ったことのない完全なペーパードライバーなので、運転させるわけにはいかない。一方のマサさんは、免許証を持たない無免許運転であるが、腕前は確かなものである。日本国の許可はないものの、ミチさんが運転するより、マサさんが運転する方が結果的に国家の損失にならないとの判断を下した。

 おおよそ二時間ほどで、長野原に至った。小雨の中、信じられないペースである。休息時間は車の中で雨を避けて簡単に休める。文明の利器は素晴らしい!
 このまま行けば今日中に草津に着けるかも知れない。しかし、このままでは収まらないのが「道無照会」の面目躍如。県道を行くのは面白くないので山道を踏破することにした。車の進入がおぼつかない道である。話し合いの結果、私がこのまま草津まで走り、駐車場に車を止めて引き返して、山道の何処かの地点で合流することになった。双方とも道に迷わないように五万分の一の地図で綿密に打ち合わせをした。
 一本道が続いているのでまず道を間違うことはないだろうが、困ったことに今日中には草津に到着しないことは確実である。幸いなことに雨は上がってきた。雨さえ上がれば、野営はどこでも出来る。シュラフやグランドシートなどは二人が持ち、コンロは私が持つことになった。久しぶりにリュック姿になった二人を残し私は一路、草津へ向かって車を走らせた。市営駐車場に車を止めると、私もリュックを背負い食料品の確保に向かった。今夜の食料を調達するのは私の役目だった。
 目指す道はすぐに分かった。間違いないと確信した。あとはこの道を真っ直ぐ長野原に向かえばいいのだ。

 我々が選んだコースだけのことはある。まったくの山道でまるで人家がない。何㎞も歩いてようやくポツンと数軒の人家が姿を現すが、すぐに両側に山が迫って来る。もちろん店なんてあるわけがない。
 あたりが暗くなって来る。木々の生い茂る道を懐中電灯で歩くのはなんとも心細い。家の明かりなどはほとんど見えないのだ。ここで思い当たった。数㎞歩いて民家がポツンとあると言うことは、この山道は生活道路なのだ。だったら車が進入出来るではないか! でも、すべてが後の祭り。今はこの道をひたすら歩く他はない。
 どの位歩いただろうか、そろそろ出会っていいはずなのだが…道を間違えたか! いやそんなはずは絶対ない! 山も道も私も暗闇に閉ざされてしまった。懐中電灯で道を照らす。暗闇に目が慣れたのか何となく路肩の様子が分かる。
 あの二人は真面目に歩いているのか? という疑問も湧いてくる。適当に歩いて野営地を見つけ、のうのうと休んでいるに違いない。そんなことをしそうな男達だ。特にミチさんは。疑心暗鬼に囚われる。当時は携帯電話がないのでどうしようもない。その時、突然左手に建物の気配がした。道を逸れて懐中電灯で探る。確かに小屋である。屋根も付いている。しかし、壁というものがない。幸いなことに床は乾いている。捨て去られた農機具置き場に違いない。ここは、野営地にピッタリだ。食料もある。しかし、シュラフもグランドシートもない。やはりまだ歩いて何とか合流せねばならない。
 少し、歩いたところで、揺れる光が見えた。光はだんだん近づいてくる。間違いない! 懐中電灯の光だ!

 合流地点から1㎞ばかり引き返し、二人をつれて先ほどの今にも倒れそうな小屋に案内した。ほとんど骨組みばかりで小屋と言うにはあまりに酷いが、少なくともなんとか屋根だけは健在だ。ここを野営地にすることに二人とも異存はなかった。いや、どうやらここ以外に野営地はないようだった。
 小屋を簡単に片付け始める。蜘蛛の巣を取り払いグランドシートを敷いた。コンロに火を付けて湯を湧かすのは私の役目だ。コンロの火を見つめると心が和み疲れが引いていくような気がする。三人の瞳は火を見つづける。
 太古の昔、人類が闇の中で焚き火をともした。火を見つめると安心感が湧き起こってくるのは、遺伝子に組み込まれた感性だと確信する。
 食事は例によって例の如し。サバの水煮、塩ラーメン、牛乳、パン、そしてウイスキーだ。まったく飽きないのが不思議である。

食事が終わればすることはない。午後十時は廻っている。あとは寝るばかりだ。それにしても寒い。柱はあっても外壁がないので吹きさらし。このあたりで標高は千メートルは越えている。寒くてとても寝付かれないので、ウイスキーを煽ることになる。
うとうとしていた時に、突然裏手の方でゴォーというもの凄い音がして地響きが伝わってきた。あわてて三人はシュラフを飛び出し、音の鳴った方を見つめる。音は谷の向こう側から鳴ったらしく、ゴロゴロという小さな音がまだしているが、闇の中でよく判らない。「地滑りだ!」
 マサさんが声を上げた。連日の雨で地盤が緩んだのだろう。三人は顔を見合わせると、あらためて懐中電灯を片手に小屋の周囲の状況を調べ始めた。どうやら心配はないようだったが、こんなところに長居はしたくない。明朝は早めに出発することにしてシュラフに潜り込んだ。かくして、狐の出そうな山の中で寒さに震えながら眠りについたが、もとより安眠できるような状況ではない。まどろむのがせいぜいと言ったところである。

 
 
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