エッセイ<随筆>




 悲しい現実(地球と人類) 

 この表題はアル・ゴア氏に敬意を表して付けました。


<③とりあえず農業というところで>

 何から書き始めるか大いに悩んだが、まず農業から始めることにする。なぜなら、農業こそ人類が行った最初の環境破壊だったと思うからである。
 農業を環境問題の切り口にするには、森林、土壌、水利、人口のすべてが関わってくる。環境問題とは途轍もなく広がりが大きい。細かく部分部分に区切って書くことは、私には不可能である。
 なぜなら詳細な分析、観測、実験をしなければならず、専門家以外に手の出しようはずがない。しょせん、床屋談義の随筆である。かたいことは抜きにして、構成は気にせずに思うままに書いていくというか、それしか出来ない気がしている。たた、私なりに強い問題意識をもっていることも事実である。

環境破壊といは、いったい何であるか? ようは地球の有り様を変えることと言えるかも知れない。ならば生きる物すべてが環境破壊をしていることになる。
 弱肉強食と言う言葉がある。テレビで放映された、草食動物と肉食動物の戦いのフィルムが目に浮かぶのが普通だろう。しかし、本当に過酷な戦いをしているのは、実は植物や微生物なのである。一立法メートルの地中で行われている植物の生存競争は、地上の生存競争の比ではないそうだ。


 さて、日本列島で農耕が始まったのは、何時のことであろうか。文化人類学者の佐々木高明教授の著作に「稲作以前」というものがある。昭和46年9月に第一刷が発行されたもので、今私の手元にある。どうやら私はこの頃からこういう本を読むのが好きだったらしい。
その中に「縄文中期農耕論をめぐって 」という項目がある。掻い摘んで述べてみると以下になる。
“縄文時代は一般に、狩猟・漁労や野生植物の採集を手とした時代だと言われている。……縄文時代の遺跡からは、栽培植物の痕跡は今のところまったく発見されていない。このことから、日本における農耕の開始は、弥生時代の初めに水稲栽培技術が大陸から伝わった時に始まる、というのが日本の学会における常識であった。この常識を打ち破るような確実な事実が発見されない現在、この常識は、学会の定説として大きな重みをもつものとなっている”
 と述べたあとに、佐々木教授は縄文中期の土器の変化、弥生時代の水稲耕作文化の急速な展開等を論じ、縄文中期以後に農耕が行われていたのではないかと、推定されている。

 教授の予言は現実のものになった、次々と栽培植物の痕跡が発見されてきたのである。1980年以後に極端に増加した。それは、日本列島改造で各地で土木工事が行われた副産物である。田中元総理のおかげだと言えるだろう。その決定的なものが、1992年に大規模な発掘が始められた、青森市の三内丸山遺跡であった。そこでは約5,500年前から4,000年前まで継続して集落があり、500人前後定住生活をしていた可能性がある。クリ、エゴマ、マメ、ヒョウタンが栽培されていた。
 ヒョウタンは、アフリカ、インドが原産地であり、この時代にすでに栽培作物として日本に導入されていたことを物語っていないだろうか?
 とにかく、縄文時代にはすでに栽培が行われていたのは間違いないが、栽培食物を第一優先には考えていなかったようである。やはり主たる食物は狩猟採集に頼っていた。それだけ自然が豊かだったのである。この頃の日本の人口は26万人と推定されている。それだけの人口を維持する自然が存在したのである。

 しかし、その豊かな自然も人口を支えることが出来なくなっていく。縄文時代を崩壊させた原因は、狩猟・採集社会のゆきづまりであろう。農耕は、増加した人口を使って生産力を向上させることが可能であるが、自然の再生力に依存しまくっている場合は、人口の増加が致命的になる。さらに人口が飽和点にあるときは、天災に対して極めて脆弱であることは論をまたない。縄文時代の晩期には、日本の人口は10万人を切るまで落ち込んでいる。

 さてここから、弥生時代に入っていく。日本列島に稲作伝搬のルートは大きく3ルートあるようだが、取りあえず今のところは深入りしない。考古学的発見によると、縄文時代の後期にはすでに稲が栽培されていたようだ。つまり約3,500年前のことになる。
 しかし、北九州に出現した水稲が伊勢湾までに急速に拡大したのは紀元前200年頃、すなわち2,200年前の事である。農業の普及による人口の増大。自然環境の破壊が始まったのである。
 弥生時代の人口は60万人、奈良時代になると450万人になったと推定されている。平安末期には1,000万人を超え、江戸時代初期に3,000万人を超えて以来、その人口で推移し、4,000万人を超えるのは明治23年まで待たねばならなかった。この間、生きるすべとしての環境破壊は進んでいった。この流れは江戸時代に完成を見て、現代まで通じるところがある。少なくとも戦前までは弥生時代を生きていたことにならないだろうか。

 江戸時代は有機農法、労働集約的な農法がほとんで完成された時代であった。平野が少なく、耕地面積あたりの収穫量は、当時の世界的に見ても恥ずかしくないはずだ。しかし、3,000万人の人口を養うのは限度であった。飽和点に達した人口は自然災害に極めて脆いと言うことを述べた。それが証拠に享保、天明、天保の天候不順は凄まじい大飢饉を引き起こした。ちなみに享保の飢饉による餓死者は12,000人、西日本の一部の地域、そして一年間という限定されたものであったからである。
 天明の飢饉が最大で死者は90万人を超えている。総人口の約3%ということは、現代の日本においては約300万人の餓死者ということになる。天保の飢饉による死者は30万人近くらしい。
 日本という閉鎖された社会で、飽和人口を抱えていた江戸時代。幕府をはじめ庶民などは、この現実に手をこまねいていたのか? とんでもない! あらゆる犠牲を忍び、悲惨な現実に対処して、世界史的に見ても奇跡の循環社会の成立を成し遂げたのである。詳細は後に述べるつもりである。

 忘れてならないのは、稲作の普及と共に森林が破壊されていった事実である。開墾の為、木製農具、あるいは土木建築材としての伐採。さらに鉄器の使用、燃料用として伐採は進んでいった。森林の後退は、土地の保水力、土壌浸食等で大きな問題になる。この件と、それに対する江戸時代の人々の努力は後に述べようと思う。
 ただし、ありがたいことに日本の風土は気候が温暖、湿潤であり森林の再生には最適だ、破壊は沖積平野周辺に限られていた。平野の少ない国土も又森林を守ったのである。さらに、重要なのは日本に稲作は伝来したが、放牧、畜産はほとんど普及しなかった事である。中国やイギリスでは放牧、畜産により森が破壊され、再生されることはなかった。
 イギリスだけではない。ヨーロッパでは、「羊は森林を食いつぶした」と言われ、家畜による森の破壊は深刻で18世紀半ば、プロイセンによる植林運動が始まるまでは手をこまねいて傍観するのみであった。(同時期、極東の島では、江戸幕府主導の大植林運動が始まっている)
 1788年、入植が始まって以来、オーストラリアの富の源泉は羊毛であり、「羊の国オーストラリア」という名称もあったほどである。しかし、今日、オーストラリアでは羊を国土に導入したことの是非が真剣に検討されているという。過放牧による土壌の乾燥化は、それほど深刻でかつ回復が困難らしい。

 もう一つ忘れてならないことがある。人間が生存するための栄養を得るのは、牧畜は非効率的なのである。おなじ耕作面積で穀物を栽培した事よりも4~5倍非効率らしい。江戸時代はその意味でも効率的な農業だった。
 ところが現在、日本の牧畜用の土地利用面積はヨーロッパ並の水準になった。食物に対する嗜好が農業を変えているのだ。それだけ需要があり、所得の上昇に寄与するということだ。
 かくいう私も、牛のステーキが大好きである。豚はやはりトンカツだろう。鶏肉はなんと、煮込みが大好きである。これは幼き日、お袋の里で私が行くと鶏を絞めてくれた祖父と、料理てくれた祖母のおかげというか、責任である。
 かくして、日本の土壌も乾燥化していく。現在の日本で土壌の荒廃がもっとも進んでいる農地は、阿蘇の草千里と信州の美ヶ原らしい。もっとも、温暖、湿潤な日本である。イギリスのような荒野になることはないだろうと私は思う。

 1961年の農業基本法制定以来、農業経営は他産業並みの所得を上げるために、規模の拡大、畜産、機械化を進めてきた。特に畜産の規模拡大はめざましいものがあり、その結果、糞尿処理は窒素過剰ですでに限界に達しているという。
 反芻動物の糞尿から出るメタンは二酸化炭素の20倍地球温暖化に影響があり、世界的な問題になっている。

 ところが、我が同胞に、このメタンガスを燃料に再利用している人がいるのだ。大きな穴を堀りコンクリートで固める。そこに牛の糞と、人間の糞も入れメタンガスを発生させる。発生したガスを煮炊きや風呂の燃料として使い生活しているのである。配管等の設備とその維持を考えれば非経済的なことは明らかであるが、少なくともメタンガスを二酸化炭素に変換することで地球温暖化防止の役には立っているだろう。計量することも出来ないほど微々たるものではあろうが。
 さらに気に入ったことに、彼はそのことを正義だと思わず、経済的だと勘違いしているのである。廻りからは変人扱いされている事実もある。
 彼の意に反して、現在では非経済的であることは明らかだが、こういった試みが次代を切り開く技術の萌芽であって欲しいと思うし、大切にすべきだと思う。糞尿に関する、さらに驚愕的な研究については後に述べることにする。



 
 
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