エッセイ<随筆>




 悲しい現実(地球と人類) 

 この表題はアル・ゴア氏に敬意を表して付けました。


<⑥戦後の農業と社会>

 全人口に占める農業人口は、戦後の昭和20年代の初めの50%から、現在では4%にまで落ち込んでいる。その内、専業農家の割合は農家数の8%とだというのだから、産業構造の激変は数字的にも明らかである。
 弥生時代から続いていた経済の基礎部分が、明治に変動をはじめた。そして、その変化が決定的に訪れたのは、第二次大戦後だと私は思う。ではどのような変動だったのだろうか。

産業構造の新たなシフトにより、日本経済を支えていた農業は激変している。なにせ、我が国農業の根幹である米の減産が計られるのだから、こんな事は日本国開闢以来の破天荒な出来事である。
 1969年に始まった米の過剰生産による減反政策は今日まで続き、1969年当時の水田面積の35.5%の減反が目標であり近々、達成されることは間違いのない現状である。その間の、農民の所得を保障する補助金の為の、税金の投入は天文学的数字になるであろう。それでも最近の米の生産量は年間約1,000万トンを維持しているのだから大したものだ。その理由は、最適地における耕作、米の品種改良、農薬、化学肥料の進歩、行政をはじめ、農家の人達の努力のたまものだといっても過言ではなかろう。 

 日本国の農業管理に関わる法律のなかで、最も有名なのは食料管理法(いわゆる食管法)であろう。1942年に制定され、1995年に廃止されるまで五十年以上にわたって、日本の農業を規制した大変な法律である。内容は、食料の生産、流通、消費に渡って、政府が介入し管理するものであり、目的は食料の需要、供給と価格の安定のためである。
 戦時中及び戦後の逼迫した食糧事情のなかで、如何に国民に公平に食料を分配するかという政策であった。売り惜しみ、買い占め、なんぞは絶対許さない! と言うわけである。
 もう少し早く施行されておれば、祖母の兄(大伯父)が米相場で失敗し破産することもなかったかもしれない。
 そして、米を公平に分配するために発行されたのが米穀通帳である。食管法成立とともに交付が始まった。そして、廃止されたのは1982年である。
「ベイコクツウチョウ? 米をどこかに預けるの?」
 と揶揄されるぐらい、若い人はほとんど知らない。しかし、戦後はこの通帳が命の綱だったのである。米穀通帳がなければ米を売ってもらえないからだ。配給量は一人あたり15㎏。子供が産まれたら新たに発行してもらう。発行場所は市役所であったらしい。我が家の台所に通帳はぶら下げられていたが、そのうち米屋に預けたような記憶がある。
 その後、米の配給制は1960年代になくなり、1970年代に米余りの状況になったため、米屋以外でも米が購入できるようになり、米穀通帳は忘れられていった。期を同じくして前述の減反政策が始まっている。そして、1982年(昭和57年)に廃止されるまで米穀通帳は有効だったのである。

 この米穀通帳なる過去の遺物が、突然私の目の前に表れたのは1993年であった。その理由は以下の長い前置きが必要になる。

 1993年(平成5年)日本は記録的な冷夏に見舞われた。そのせいで、米の作況指数「74」と言う事態に陥ってしまった。
 作況指数は、10a当たり収量/10a当たり平均収量×100という計算式によって求める。良;106以上、平年並み;99~101、不良;94~91、著しい不良;90以下、という案配である。74というのは確かに凄い数字である。
 政府も慌てたが、庶民はそれ以上で、スーパーや米屋に走った。実体的には食管制度は機能していなかったため、売り惜しみ、買い占めも横行した。同じようなことが石油危機の時に起こった。トイレットペーパーを求め、消費者がスーパーに走った。人間のする行動は時代が変わっても大して変わらないのである。

 戦後最大の不作という事態に、政府は米の緊急輸入に踏み切った。国際市場で米を買いあさったのである。その年の9月には260万トンを買い付けた。内訳はタイ米35%、中国米35%、米国米20%、豪州米10%である。この当時の世界の米の貿易量は1200万トンだったので、その20%を突然日本が輸入したのである。影響がないわけがない。国際的な価格暴騰を招いてしまった。売り惜しみ、買い占めが国際規模で発生した。

 米は大きく3種類に分かれる。1、ジャポニカ種、2、インディカ種、3、ジャバニカ種である。世界的にはインディカ種がもっとも生産量が多い。
 どの米が美味い不味いではなく、調理法が違うのである。輸入した米のうち、タイ米がインディカ種であった。ハッキリ言ってこの米は、日本式に釜で炊いて食べるとまずいのだ。そこで、政府は米を売る場合、タイ米の割合を決め、ジャポニカ種と抱き合わせで売るように指導した。当然、我が家もタイ米を一緒に買い、混ぜてご飯を炊いた。
 ところが、不人気なタイ米が、家庭ゴミで出されることが横行してしまったのだ。政府は慌てて、タイ米の調理法の宣伝を行ったが、それほどの効果はなかった。その後、家畜の餌などに用いたが消費できず、最終的には産業廃棄物として処理される結果となった。
 この事態に、国際的に轟々たる非難と怨嗟の声がまき起こった。特に東南アジアでは大変なことになった。日本の緊急輸入のせいで米の価格が暴騰したのである。これは、貧民層を直撃した。タイやバングラディシュでは、餓死者も出たという情報もある。
 そんな状況で、「ゴミ! 産業廃棄物! ふざけんじゃないぞ!」である。もっともなことだ。日本経済は巨人なのだ。巨人が不注意に動けば、弱者が踏みつぶされることがあることを、我々は認識すべきだろう。
 翌年1994年の作況指数は良くなり、この事件も今や記憶の彼方に去った感がある。結果的には、当時備蓄米はたくさんあり、あえて緊急輸入をする必要もなかったのである。政府は2年、3年と不作が続くことを危惧したのだった。
 
 以上が、長い前置きである。
この1993年の米騒動の時に、突然、私の友人が米穀通帳を持ち出したのだ。
「おれは、これがあるから大丈夫だ。配給米が手にはいるのでまったく安心している。今日あることを思い、大切に保管してきたんだ」
 私は冗談かと思って彼の顔を見た。しかし、真剣なのである。この時、完全に忘れ去っていた米穀通帳のことを思い出した。まさに晴天の霹靂である。
「確かに、食管法はまだあるから、お前の言うことも一理あるかもしれんな…」
「だろっ…」
 と言って彼はニンマリ笑った。感心するやら呆れるやら、私も思わず笑いながら、
「まいった!」
 と返事をした。
 当時、実際には食管法はあったものの、米穀通帳はこの十年前に廃止されていたが、無論私は知らなかった。

もう一つ、米穀通帳で忘れてならない逸話がある。時は1942年(昭和17)年の戦時中のことである。食糧管理法の施行にともない、米穀通帳による米の配給制度が始まった。昭和三十年代の初めの頃になると、老人たちは、戦中、戦後すぐの頃の、米の配給は十分とはほど遠く、ひもじい思いをした。と、その経験をよく話した。それに引き替えおまえたちは! という案配である。この頃から日本の食糧事情は眼に見えて良くなってきていた。
 ところが、その戦時中に九州は宮崎県の山の中、椎葉地方の寒村では大騒動が持ち上がった。米が配給されたのである。「それが? あたりまえじゃないの」当たり前ではないのである。険しい山間のこの地方では米の栽培が出来なかった。日常食はアワ、ヒエ、イモであった。米のメシなど滅多に口にすることは出来なかった。配給米で生まれて初めて米を食べたという者も多かった。
 私が記述されたものを読んだのは、椎葉地方であったがこの地方だけではあり得ない。当時の日本各地に同じ様な状況に置かれていた、村落も多かったはずである。
 配給と言っても様々である。不足を嘆く者もおれば、食べられることで至福を味わう者もいる。日本国内でこれである。世界中を見渡せば今日でも、もっと大きな落差はあるだろう。 

 この項の始めに私は、水田の減反政策は、日本国開闢以来の破天荒な出来事であり、弥生時代から続いた日本の社会は終わったと書いている。農業が基幹産業では無くなったのである。
 確かにこれは革命とも言える出来事であった。産業構造の大変革である。農業人口は、50%から4%まで落ち込みんだ。その労働力は、高度成長にともない、第二次産業、第三次産業へとシフトしていった。というより、新しい産業に吸い取られていったのである。 より需要のあるところ、より所得の向上が図れるところに労働力が流れていくのは当然のことだ。経済の発展とは所得を上げることにより、人間社会の福祉を増進する事だという考え方がある。決してまちがいではないだろう。理屈ではなく、人間は黙っていてもその方向に流れるものである。
 新たに所得が増大することにより、食糧自給率は悪化し、今日では40%を切る事態になっている。しかし、逆に増大した所得により、食糧を海外から輸入することにより、今日では食糧は日本国にあふれている。

 危惧するのはあまりに目先の利益にを追い求めると、結果的に個人にその負債が跳ね返ってくることだ。全体的かつ長い年月のスパンで洞察し、政策をトップダウンで導くのが政治家の役割である。
そして、巨大となった日本の経済力は使い方を誤ると、大きな災害をもたらすのである。
そんなことはまったく想像しなかったと思うが、日本が米の緊急輸入を行ったために、タイやバングラディシュでは、餓死者もでる悲劇が起こっている。
 次項では、日本の経済成長について経済史ではなく、身近な問題として述べてみようと思う。




                        
 
 

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