27、学者と教授(二)





「ま、まさか・・・・・しなかったんじゃ?」
 「し、したよ・・・・・」
 「そ、そうだよな・・・・・」
 一瞬、あせってしまったが、学者はすぐにホッとした。
 「しかし、お前どうするか解っていた・・・・・よな?」
 勝さんが、ぶしつけな質問をする。ハツエは、先ほどからニヤニヤ笑ったままだ。
 うつむき加減に、だいちゃんは言う。
 「妻に教えてもらった・・・・・」
 「そ、そうだろうな・・・・・」
 学者は、一応うなずいた。(五十過ぎの男が、二十代半ばの新妻に・・・・・まあ微笑ましいとはいえるが・・・・・いつまでたっても、だいちゃんのままだ・・・・・!とても、先生にはなれないな・・・・・)
 「それで、どうだった?」
 「気持ちよかった・・・・・」
 思わず、学者は教授ことだいちゃんを、肘で軽く突くと続けた。  
 「それで、その後どの位の頻度で・・・・・ええい! 月に何回ぐらいやったんだ?」 
 「んーん! 結婚して五年。三回ぐらいは、したと思う・・・・・どうも覚えが悪くて、忘れてしまい、そのつど教えてもらったよ・・・・・最後の時は、『そこは、違う!』と悲鳴をあげられてしまった。なにが違ったんだろう? 三ヶ月前だったかな・・・・・?」
 学者は、プッと吹き出し、呆れてしまった。『違ったところに、入れやがっって! それはそれで、やりようがあるんだが・・・・・』
ハツエが突然、呆れたような顔をして言った。
 「だいちゃん、あんた物覚えはいいんだがね・・・・・中国語、英語、独語・・・・・そっちの方は、すぐ覚えるんだよ、人並み以上にね・・・・・」

 「こんにちはー、お、お、だいちぁん! 久しぶりだなー・・・・・」
 ゲンさんが、のれんを割って入ってきた。
そのとき、四人は、われに返った。
 話しに夢中になって、男は、ビールを呑むのを忘れ、ハツエは、らっきょうの皮を剥くのを忘れていたのだ。
 ハツエは、丸椅子に腰をおろし、再びらっきょうとの、戦いをはじめた。
 「ゲンさん、元気でしたか?」
 「元気、元気ばりばりだよ・・・・・」
 そういうと、ゲンさんはコップのビールを一気に呑んだ。
 「ぷー・・・・・うめえや・・・・・なんか、楽しそうに話し込んでいたみたいだな・・・・・おれも、いれてくれよ」
 学者は、勝さんの眼を見た。了解しているようだ、話して良いものかどうか、不安を抱えながら・・・・・。
 「ゲンさん、だいちゃんが帰ってきたのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 学者は、今までの話をかいつまんで説明した。
 「そうか・・・・・なるほど・・・・・だいちゃんにも、悩みはあるんだなー・・・・・」
 『世の中で悩みが無いのは、ゲンさんぐらいのもんだよ』と、学者は思いながら、からかうような口調で話しかけた
 「ゲンさん、そっちの方はどうなんだ?」
 「そっち?」
 「あっち、いや、奥さんとの交渉・・・・・」
 「ああ、そっちか・・・・・まあ、週いち、てところか・・・・・」
 「週いち!」
 学者と勝さんは思わず、驚嘆の声をあげた。
 学者は、そっとハツエに視線を移した。ハツエが、ぎらつく眼を勝さんに向けている。勝さんが、そわそわしながら、素知らぬふうを装っていた。
 ゲンさんは、ある意味で人間離れしている。学者は異星人でも見るような眼でゲンさんを見つめた。
 異星人が、ピーナツをぼりぼり囓りながらビールを呑んでいる。
 「そっち、あっち、週いち・・・・・何の話しです?」
 だいちゃんの発言に、学者は頭をかかえた。『もう一人、異星人がいた!』

 「こんにちわー・・・・・よ! だいちゃん・・・・・」
 そのとき、マツが入ってきた。
 「おお、マツ良いところに・・・・・」
 と、ゲンさんが、言い出すが早いか、勝さんはカウンターを飛び出し、ゲンさんを表に連れ出した。
 「おい、おい、何ごとだよ・・・・・だいちゃん久しぶりだね。今何やってんだよ?」
 「マツさん、久しぶりですね。今は、名家の公孫竜子をやっています」
 「・・・・・コウソン・・・・・」
 だいちゃんとマツは、話しがかみ合っていない。しかし、この時とばかりに学者は、話しの流れを変えるために割り込んだ。
 「公孫竜といえば、中国の戦国時代だよな・・・・・」
 「学者さん、そうです。諸子百家の名家に属し、『公孫竜子』六編が残っています。恵施とともに、名家の二大巨頭と言われている・・・・・・・・・・」
 勝さんとゲンさんが入ってきた。ゲンさんは、よく言い含められたらしく、少し元気がない。
 ゲンさんが悪いことは、全然ないのだが・・・・・。ハツエはそっぽを向いて、らっきょうの下処理を続けていた。
 「だいちゃん、公孫竜、恵施、といえば、おもしろい説があったよな?」
 学者と言われるだけあって、断片的な知識はあるらしい。
 「ああ、『白馬は白馬にあらず、黒馬である』『鶏の足は三本である』『川が流れるのではなく、山が動いているのである』・・・・・いろいろあるよ」
 だいちゃんは乗ってきた、元気を取り戻してきたのだ。学者は勝さんに向かって、片目をつぶると、勝さんが頷いた。
 「それって、無限、そして概念をひねくり廻した詭弁だよね・・・・・」
 「学者さん、その通りです。詭弁ではありますが、後世に与えた影響は、大きなものがあります、論理学の発展に寄与しました。紀元前三~四世紀の戦国時代の、名家の成立する時代背景は群雄割拠の状態であり・・・・・」
 勝さんが、学者に耳打ちをした。
 「おい、どうなるんだ?」
 学者も返した。
 「わからん・・・・・」
 マツと、ゲンさんは唖然として、熱く語りかけるだいちゃんの、顔を見つめている。
 「・・・・・北から大国だけでも、燕、趙、韓、魏、斎、秦、楚があり、小国は、魯、宋・・・・・まさに、割拠状態であった。当時は百家争鳴、あらゆる才能が花開き、各国の君主に遊説して廻り仕官の道を探した。代表的なものは、儒家、法家、陰陽家、道家・・・・・とあり、名家もその一つである・・・・・」
 「学者、これ、大学の授業とちがうのか?」
 そう、小声でマツがたずねた。
 これまた、ささやくように学者は返事をした。
 「おれは、中卒だ。大学の講義のことなんか、知るもんか」
 視線を宙に置き、何かに憑かれたように喋るだいちゃんの言葉は、留まるところをしらない。
 「・・・・・遊説者の中には、観相見も多かった。手相、人相、姓名判断・・・・・初期には、重宝された形跡もあるが終いには、その類は軽蔑されるに至った。しかたなしに、彼等は食を得るため、頑迷固陋無知蒙昧、愚昧な一般民衆の中に入っていった・・・・・・・・・・・・・・・」
 ふたたび、マツが小声で、
 「学者、この話し、易者の『まさ爺』や、手相見の『さち婆さん』が聞いたら怒るよな・・・・・グマイなとか、何とかって・・・・・もしかして俺たちか・・・・・?」




次ページへ小説の目次へトップページへ