二十八、潮干狩り(一)






 「マツ、最近はどうだ、調子よさそうじゃないか?」
 額の汗をタオルでぬぐいながら、勝さんは、マツに声をかけた。
 夏にはまだしばらく間がある。
 しかし、春も終わりになると、配達の力仕事をしたあとは汗をかく。
 「ちょっと顔を洗ってくるから、待ってろよ」
 勝さんはまったく無意味な言葉をなげかけた。
 「勝さん、俺、ビールを飲んでんだよ。逃げるわけないじゃないか?」
 勝さんは洗面所で顔を洗うとホッと一息もらし、鏡に写る自分を眺めた。
 『俺も歳を取ったものだ、眉毛が薄くなり、皺とシミがふえやがった。ビールを、二十ケース運んだだけでこのざまだ・・・・・』
 実際、十年前ならばビールの二十ケースを、団地の三~四階に運び込んでも息を乱すこともなかったろう。
 伝説の『戦闘神、勝』の贈り名は、いつまで通用するのだろうか?
 少なくとも、寝たきりになり、点滴を受けるようになったら、あるいは、挑戦者が出現するかもしれない。

 勝さんがカウンターに戻ると、マツに浅見が加わって話しをしていた。
 浅見は相変わらず、紺のスーツに白いワイシャツ、紺のネクタイ姿である。
 「浅見さん、久しぶりだね、なにしてたんだい?」
 自分と浅見のグラス二つ、そして、ビール瓶をカウンターに置くと勝さんは声を掛けた。
 「勝さん、二週間、東京に出張してたんですよ」
 「ほー、都へ行ってたのか、どうだい、都は?」
 「都は?」
 浅見は答えに窮しているようだ。
 「あんたの会社は東京の何処にあるんだい?」
 これなら、浅見にも返答可能である。
 「中野というところですよ」
 「中野? おいマツお前しってるか?」
 「中央線の中野ならしってるよ、たしか新宿から快速電車で一つ目だったかな?」
 勝さんびっくりした。
 「マツ、糖尿病のお前がなぜ詳しく知ってるんだ?」
 「糖尿病と、中野を知ってることと関係ないだろう」
 マツは少しムッとしたような顔をした。
 誰が聞いても、明らかにマツの言うことの方が正しい。

 「中野にある本社で、長期経営計画の摺り合わせがあったんだ・・・・・もしかしたら、そのうち本社に転勤なんてことに、なるかもしれない」
 「そうか、中野か?」
 勝さんは妙に中野にこだわる。
 「浅見さん、転勤かよ?」
 マツは気になるふうである。
 「いや、その可能性があるというだけだよ」
 「そうか、よかったよ。全草連はあんたが会長になる予定だからな」
 「全草連!」
 浅見はすっかり忘れていたようだ。
 ビールを一息に飲み干すと、勝さんは話し出した。
 「そうだ、全草連。あれはなんとか形にしなくっちゃあな。うちのハツエと、マツのお袋がかき回したおかげで、今のところ手つかずになっちゃいるが、何とかしなきゃあなん。学者もここんところ、あまり身が入らないみたいだし、やり始めたたら最後までやらねば、わしの名折れになる」 
 「おいおい、全草連は勝さんの問題になったのか?」
 上目遣いにマツは勝さんの顔をみた。
 「武道のほうは相変わらずですよ。金と名誉がからむと、なぜああなってしまうんだろう? 武道それ自体は決して穢れたものではないのに・・・・・」 
 よほど、浅見は武道に、不信感を抱いているらしい。(はたして、武道だけの問題であろうか、人間性全体のことでは?)
 「ここに、集まる人たちは良いです・・・・・ほんとうに良いです。皆さん高潔です、人間としての品位が高いと、心底思います・・・・・」
 浅見はしんみりと云った。
 (・・・・・仕事上のことで、東京の本社で何かあったのかもしれないな?)
 勝さんは、浅見の真剣さと落ち込んでいる様子が気になった。

「いらっしゃい。浅見さんしばらく見なかったね?」
 買い物袋をぶらさげ、ハツエが入ってきた。
 「浅見さん、東京へ行ってたんだってよ」
 そう言うと、勝さんは、ハツエの買い物袋を受け取り、奥くに入っていった。 台所で袋を開くと、食料品を選り分け、冷蔵庫などに収納する。
 柄にもなく、勝さんがこういうことをするときは、何か考え事をしているときだ。
 「なにか、考えついたかい?」
 勝さんが、カウンターに戻ると、ハツエが声をかけた。
 彼女は、すべてお見通しである。
 「うん、まあな」
 そういうと、勝さんはビールを一口飲んだ。
 多少もったいぶっている。
「勝さん、何なんだよ・・・・・いっちまえよ」
 マツはせっかちである。
 「いや、気候も良くなったし、今度の日曜は晴れだそうだ。どうだ、みんなで潮干狩りにでも行かないか?」
 「え! 潮干狩り?」
 マツは、すっとんきょうな声をあげた。
 「潮干狩りは、子どもの遊びじゃねえか。俺は体も良くないし、あまり気がのらねーや!」
 「マツさん、いいよ潮干狩りは。何十年ぶりかな・・・・・子どもの頃は、よく行ったよな・・・・・」
 浅見は乗り気らしい。
 浅見の言葉を聞くと、勝さんは遠くを見つめるような眼をした。
 勝さんの頭の中を、海と潮の香り、そして蒼い空と太陽。子どもの頃の懐かしい想い出がよぎった。

 「こんにちはー」
 引き戸をあけて、ゲンさんと健が入ってきた。
 「ちょうど、そこで健ちゃんと一緒になってな。おッ、なんか打ち合わせしてたみたいだな」
 「はいッ、ビールでしょ。今度の日曜に潮干狩りに行こうか? という話しをしていたのよ、あなたたちもどう?」
 ハツエはもう行く気になったらしい。
 「潮干狩りといったら、室津海岸かな? だったら、ハツエさんのコネで無料で入れるわけだ・・・・・」
 ゲンさんは、細かい金の勘定は得意である。彼の頭は高速回転をはじめた。
 「健ちゃん、たしか魚市場にコネがあったよな?」
 「うん、よく知ってるのがいるよ。それがどうしたんだい? もしかして、取ったアサリを卸すつもりか!」
 ゲンさんは、四角い顔でニタリと笑った。
 「裏の爺さんに頼んで、クワを四~五本貸して貰って。二十㎏の麻袋が二十枚程度いるかな? 運搬車には、勝さんの普通トラックがある。健ちゃんの小型ダンプに、小型シャベルカーをつんでいって・・・・・」
 勝さんは眼をむいた。
 「ゲンッ、お前、なに考えてんだ! 潮干狩りにシャベルカー持ち込んでどおすんだよ!」
 「いいって、勝さんまかしとけって、なんたって、内海もののアサリだ、上手くいけば二~三十万にはなるかな?」
 勝さんは、カウンターの奥から身を乗り出し、ゲンさんの頭をひっぱたいた。 「いてー! なにすんだよ」 
 「ばかッ、ほかの潮干狩り客に、迷惑だろうが! 室津漁協が、稚貝の養殖をして放流してんだぞ! ハツエの従兄弟のシンペイさんは、水産試験場で一所懸命、貝の養殖の研究をしてるんだぞ・・・・・それを、シャベルカーで根こそぎにするつもりか!」
 顔を真っ赤にして、勝さんは怒っている。

 「まーまー、勝さん、ゲンさんの冗談だよ」
 健は何か考えがあるような顔で、勝さんをなだめた。
 「冗談であるもんか! おい、健! おまえも良からぬことを企んでるな?
ふざけたことを言うと承知せんぞ」
 「ふざけてないよ、勝さん。お客さんみんなが喜び、漁協の番人も我々もたのしんで、なおかつ金になることだよ」
 健は、そつがない男である。
 ニヤニヤ笑いながら、絵を描き始めたようだ。
 『健の考えることなら、安心して話しにのれるかもな?』
 気も落ち着きビールを飲みだした、勝さんは、さきほど、浅見がいった『高潔で品位が高い人たち』という言葉を思い出した。
『こやつら、単純かもしれないが、少なくとも穢れてはいない・・・・・』



次ページへ小説の目次へトップページへ