師とその周辺







塩川寶祥伝(その二十二)




全剣連は、全杖連の存在をよほど脅威に感じたのでしょうか、実に数々の子供じみた妨害活動を行っています。しかも、八段という幹部の方々が実際に手を下すのですから呆れてしまいます。
 少し例を挙げてみましょうか。
 ①全杖連の下部組織として活動していた、東京都杖道連盟の稽古場所に待ち伏せして、  稽古帰りの会員を掴まえ、「彼等は全剣連を除名になった偽物である。うちの道場に  来なさい」という勧誘行動。及びそれに類する数々の直接行為。
 ②乙藤先生を訪れ、再三に渡り、塩川先生を破門にして欲しいとの懇願。乙藤先生もさ  すがに困惑されたようである。
③事あるごとに、神道夢想流を学ぶものは全員、全日本剣道連盟に所属している。と言  い切って、全杖連を存在しないかのように吹聴する行為。
 ④彼方は、国際杖道連盟、全日本杖道連盟と言う名称、此方は全日本剣道連盟杖道部、  名前の大きさが違う。解散させるなり、破門にする訳には行かないでしょうかと、乙  藤先生に懇願した行為。(本当に、全剣連の八段がこんな事を言われたのです)

日本武道館に於いて、毎年、塩川先生が「全日本杖道連盟範士九段」として演武を行っていたが、さっそく全剣連の某八段より、乙藤先生に、けしからんので、塩川寶祥を破門にして欲しいと依頼があった。
「えっ、本当に、そんな事を言ってきたんですか」
「ああそうだ。俺に遠慮して九段にしたのかも知れんが、十段にすりゃあええのに、一段こぎってから!」
 そう言って、乙藤先生は笑っておられた。
 日本武道館と言えば、全日本剣道連盟の総本山とも言える。あるいは、よほどのショックだったことは推察できるが、あまりと言えばあまりに子供じみていないだろうか!

 誤解のないように、一言付け加えておきます。剣道連盟の大御所であられる、米野師範、廣井師範、神之田師範については、そのようなことは一切、耳にしておりません。さすがに人間的にも立派な方だと思うのですが、これ以上は書きません。ご迷惑が及んでは申し訳ないですから。


 確かに、人間はそれぞれです。いろんな人間が居ます。しかし、あらゆる人間の行為をなす因子は、誰でもが持っていることだと思います。表面に出るのは、多少の濃淡があるだけではないかと思うほどです。立場が逆になればなったで、同じようなことが起こったかもしれません。全杖連も、些細な嫌がらせなど放って於いて、自分たちの杖道をやればよかったんです。 
 ところが、そうはいかないのが人間の性です。全杖連は反撃に出たのです。(今思えば、単純に反撃の為だけだとは思えません)全剣連の無法に対する対抗策として、という大義名分が掲げられました。
 なんと、「神道夢想流」を商標出願するという暴挙に及んだのです。これは、まさしく暴挙と言うに相応しい行為です。

 私は、末端の一会員に過ぎません。しかし、岩目地先生に意見の具申を求められました。そして、私は文書をもって先生に、商標登録出願には反対である旨お伝えしました。
 いま手元に、その時の文章があります。平成八年三月十六日、岩目地先生宛て、となっております。結構長い文章で、登録商標に対する自分の考えとして、商標法第一条(目的)第二条(定義)を書き、法律の立法の主旨に反しているとしています。
 さらに、補足するならば「神道夢想流」という名称は、四百年使われており、固有名詞であるが、社会的な共有財産と言えるのではなかろうか。しかも、全杖連は法人ではありません。(当時、NPO法人という制度は在りませんでした)
 出願人、権利者は個人にならざるを得ないのです。基本的に「神道夢想流」という名称が個人財産であっていいのでしょうか。

 岩目地先生も登録出願には反対でした。しかし、推進派の師範に押された塩川先生は、出願して良いとの決断をしました。
 これが、世に名高い「神道夢想流」商標登録出願の大事件になったのです。杖道界を揺るがす大騒動になっていきました。当たり前のことです。
 社会的にみれば、所詮コップの中の嵐かも知れませんが、杖道を稽古する者にとっては、大変なことです。
 むろん、異議申し立てがなされたのは当然でしょう。そして、結果的に登録出願は取り下げられました。これまた当然のことです。そして、反対であったにも関わらす、岩目地先生が、事件の尻拭いをなされました。
 しかし、この事件は深い傷を残しました。全剣連と全杖連の間はむろんのこと、全杖連の内部に於いてもです。

 私は、今時点での情報をもとに、解ったような事を書いています。あくまでも限れた情報であることも確かですし、立場は偏らざるを得ないでしょう。
 もし、五年前にこのような文章を書いたならば、異なったものになったはずです。恐らく五年後に書いても多少は違うでしょう。では、何故今、書いているのでしょう?
 そもそも、塩川寶祥伝を書くもとになった根本の原因は、十数年前に遡ります。そして、書くのを止めようと思っていたのは本当です。
 しかし、書くことを決断させられた直接の原因は、昨年の暮れ(平成十六年)に起こりました。このHPの掲示板でお馴染みの、木蘭さんが出会った事件がもとなのです。

 木蘭さんは、私の稽古仲間です。彼は昨年暮れに、居合道の稽古を始めたく、某流派の道場に見学に行きました。そして、入門の為の申請書を提出しました。あまりに細かく書き込むようになっていたので、驚くと同時に多少嫌気が差しましたが、取りあえず提出しました。
 ところが、その後に、彼の自宅に電話があったのです。なんと、電話してきたのは居合道の師範ではなく、全剣連の杖道八段の某師範でした。話し方は紳士的であったそうですが、要点は次のようでした。
「君は不幸である。今通っている杖道の団体はいい加減で、教える術は偽物で、出鱈目だ……」
 居合道の申し込みをしたのに、なぜ杖道が? “開き直りの木蘭”(勝手に私が名付けました)と異名を持つ彼のことです。黙っているはずがありません。逆襲したに違いありません。
 しかし、この話しを聞いて、私は思ったのです。杖道、居合道、空手道、つまり、塩川先生に関係のある場所で、稽古をしている人々は大勢居られます。塩川先生に面識もなく、親しく話しをしたことも無い人も多い筈です。それらの方々に、塩川先生を知って欲しいと思いました。
 塩川先生は、結構いい加減で、我が儘で、組織に馴染まない人間だと思いますが、少なくとも武術に於いては偽物ではありません。理屈や理論ではなく、武術を身体で体現した最後の武術家なのです。皆さん自信を持って良いですよ! そして、良くも悪しくも、その人間性を知って欲しいと思い書き始めたのです。

 以下の文章は、ご迷惑になるかも知れませんので、書くのは止そうとも思ったのですが、やはり書かせて頂きます。
 全剣連の範士八段で、紘武杖道会を主催されておられる、松村重紘師範です。師範は、全杖連に対し、所信を表明されています。
「お互いにいがみ合っても得るところはありません。同じ武道を志す者として、交流しながら術を追求して行こうではありませんか。いまその時期が来ていると思います」
 おおよそ、このようなことを仰られたと、私は認識しております。
 狭い古武道の世界、その中でもさらに狭い杖道の世界、しかし、この世界もまた世間を映し出す、鏡でもあります。凝縮された一個の宇宙であります。
 お会いしたことはありません。むろん、その人となりについて私如きが申すのも僭越ですが、松村師範のような方が居られるのは、私に取って救いになるのです。

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