永久に未完の組曲
家族旅行の巻(一)



 




 今日は、火曜日、予備校講師のアルバイトもない貴彦は、居間に腰を下ろしていながらも落ち着かない。先ほどからテレビは、バラエティー番組をやっているが、貴彦の聴覚と視覚を通過するだけで何処かに霞のごとく消え去っていく。
「由美ッ、麗子と磨美はまだかな」
 台所で後かたづけをしている由美に話しかけた。今日の食事当番は由美である。北御門家に置いては、家事はすべて当番制になっている。
「兄ちゃん、何度目よ。間違いなく携帯にメールしたから、出来るだけ早く帰ってくると思うよ」
「メールの返事はないのか? それにしても帰りが遅い」
「だから、何なのよ。どういう理由か言えばいいじゃない。『家長が話がある。すぐ帰れ』なんて、三十年前の、電報みたいなメールを送ったって。返事はおろか、帰って来る気になるはずがないでしょう」
「内緒、驚かせるんだ!」
 貴彦は、含み笑いをしながら、居間に引き返した。よほど嬉しい報告があるのだろう。
 摩美の誘拐事件が片づいて、穏やかな日々が続いていた北御門家に、またぞろ事件でも起こるのだろうか。それにしても、貴彦の含み笑いは、あまり格好の良いものではない。
 黙って、難しい顔でもしていれば結構いい男なのであるが。

「やっと集まってくれたか」
 貴彦の声はうわずっている。
「お兄様、お話ってなんですの?」
「麗子、そう慌てるな、今言うから」
 そわそわ、落ち着かないのは貴彦だけである。勿体ぶって、彼は懐から封筒を取り出し、高く掲げた。
「お兄ちゃん、何なの。もしかして、結婚届け? よかったわね!」
 摩美の発言に、思わず貴彦は封筒を取り落とし、床から拾う体たらくを来した。初めからこれでは、この後はどうなることやら。
「ちッ、違うこれだよ」
 貴彦は慌てて、封筒から紙片を取り出した。
「旅行のクーポン券だよ。凄いだろ」
 貴彦の勤務先、㈱山尾食品では、今年は社員旅行を中止する変わりに、希望を取って、クーポン券を配ったのだ。貴彦は、熱海、二泊三日の券を選択した。
「えーッ、熱海!」
 由美が思わず叫んだ。貴彦には、由美が何故叫んだか、意味がいまいち分からない。単純に喜んだとも思えない。多少の侮蔑の響きを感じたのだ。
「熱海ね、昭和三十年代の新婚旅行のメッカだわ。券は二人分だわね、行ってらしたら」 麗子が冷たく言い放った。
「わたしは、ジャズダンスの稽古があるもの」
 由美もつれない。
「わたし行きたい、お兄ちゃんわたし行くわ」
 摩美が喜んでくれて、貴彦の面目は少し立った。
「家族みんなで、行こうよ。家族旅行なんて、随分したことないだろう。世の中で四人きりの家族じゃないか。学校も春休みに入るだろ、俺も有給休暇がたっぷり貯まってるから、休みを取れるんだ。あと二人分足してみんなで行こうよ」
 家長の権威もどこへやら、貴彦の説得は哀願を帯びてきた。


 三人は熱海の駅に降り立った。何年ぶりかの家族旅行であったが、一人足りない。由美は説得されて参加とあいなったが、麗子はついに同行することはなかった。
 由美には、説得工作が功を奏すことがある。しかし、麗子には無理だ。厭なものは、絶対にうんとは言ってくれない。
「お兄様、わたくし食べ物にはつられませんことよ、海辺って陽射しが強いでしょ。ごめんだわ」
 麗子は、つれなく断った。
これに対し、摩美はおお乗り気であった。
「熱海と言えば、金色夜叉の寛一、お宮よね。ダイヤモンドに目がくらむなんてバカな女。そうだよねお兄ちゃん」
 摩美が彼女らしくないことを言い出した。
「そうだ、良いことをいう。ダイヤモンドなんて単なる石っころだ」
 我が意を得たとばかりに、貴彦は相づちを打つ。
「もっと実用性を考えなくちゃ」
「実用性?」
 貴彦の脳裏に不安がよぎった。
「旅行に持って行く、いいバッグがあるのよね。エルメスで値段も手頃だし」
「手頃?」
「四十万円よ」
「よッ、四十万! なにをバカなことを言うんだ。バッグならたくさんあるじゃないか」「お兄ちゃん、バッグもそれぞれ使用目的があるんだからね。春、熱海に二泊三日というバッグを持っていないのよ。実用的でしょ」
 消費の王様、摩美はとんでもないことを言い出した。
「そんな金、我が家にはないぞ」
「金は無くても信用はあるじゃない。アメックスとビサの、ゴールドカードを二枚持っているじゃないの。お兄ちゃんがどうしても厭なら、自分で何とかするわ」
「なんとかするって?」
「買ってやる、買ってやるとうるさく言う男が、何人かいるのよ。買ってもらおうかしら」「だめだ! 絶対だめだ!」
 貴彦は眼を剥いて、助けを求めるべく麗子に哀願の眼を向けた。
「あら、お兄様、よろしいんじゃありませんの。それは、摩美さんの能力だと、わたくし評価いたしますわ。目的達成のため、自己の能力を最大限に発揮する。自立した女性のあるべき姿だと、わたくし、思いますことよ」
 麗子は極めて冷静にしれーとして言った。
「お姉ちゃんから、承諾を得たら怖い者なしだわ。お兄ちゃん、私あしたは外泊ね」
「ば、バカなことを、言うんじゃない! 買ってやるとも! 何でも買ってやる!」
 結局、貴彦はバックを買わされる羽目に陥った。確かに、摩美は凄い能力の持ち主である。
「お兄ちゃん、嬉しい。ちょうど靴も・・・・・」
「由美、お前が一番俺の気持ちを分かって、くれるよな」
 摩美の言葉を、無理矢理さえぎるように、貴彦は由美に振った。
「兄ちゃん、私シャネルのピアスで欲しいのがあるの・・・・・」
 貴彦は気を失い、ソファーに倒れ込んだ。

 熱海駅前の広場から海岸に向かう通りに、土産品を商う店が軒を連ねるようにならんでいる。このあたりは昭和二十五年の「熱海大火」の紅蓮の炎で、そうなめにされた所であるが、半世紀を過ぎるとその面影はない。
 ましてや、そこを歩いている三人の生まれる遙か以前の出来事だ。彼らにとっての感覚は、応仁の乱で京都が灰燼に帰したのと、なんら変わることがない。
「おい、摩美。なにしてんだよ、早くこいよ」
「お兄ちゃん、この“くさや”おいしそう!」
「旅館で今夜の料理に、特別に頼むから、早くいこう」
「お姉ちゃんの、お土産にどうかしら」
「土産は、帰りだろうが!」
 とにかく、摩美は真っ直ぐ歩けない。熱海駅に着くそうそう、化粧室に駆け込んだまま
、十分間出てこなかった。
「兄ちゃん、何故そんなに急ぐ必要があるの?」
 由美が極めてまともなことをいった。
 由美は、セーラー服を着て、ルーズソックスを穿いた、ごく普通の高校生のスタイルをしている。シャネルのピアスは付けていない。買わなかった訳ではないが、ピアスはジャズダンスの時に使用するものだそうである。実用性と合理性があると言うことも、出来ないことはない。
 むろん摩美はエルメスのバッグを手にしている。その為に買ったのであるから当然ではある。髪にはふんわりカールがかかり、ツウニットの上着に白いタイトスカート、ハイヒールを履いていた。
 以外なのは、貴彦である。結構おしゃれなのだ。麻と綿混紡の白っぽいクリーム色のソフトスーツ。青い太めのストライプに入ったシャツを身につけた長身は、人目を引くほどに映える。
 ろくにカジュアルな服を持たない貴彦のために、旅行前に麗子がネットで注文し、プレゼントしてくれた物であった。
 麗子がプレゼントをしてくれる言った時、貴彦は飛び上がらんばかりに喜んだが、貧乏性の本領を発揮して、一万円以内にしてくれと懇願する有様であった。服の値段の分からない貴彦は気づいていないが、おそらく十万円以下ではないだろう。

「お兄ちゃん、ラーメン屋さんがあるわ」
「ラーメン屋」
 ラーメン屋ぐらいどこでも有るだろうよ、とばかりに貴彦は気のない返事をした。
「由美ちゃん、見てみて。熱海ラーメンだって、知ってる?」
「摩美ちゃん、聞いたことないよ」
「由美ちゃん、食べようよ」
「そうしよーか」
 二人だけで話を決めてしまおうという、摩美の見え透いた魂胆だ。
「おい、新幹線に乗る前に食事をしたばかりじゃないか」
「でも、熱海ラーメンよ」
「久留米豚骨ラーメン、札幌バターラーメンなら分かるが、熱海ラーメンとは聞いたことないなあ」
「食べれば分かるわよ。由美ちゃん入ろ」
 摩美は死ぬほどラーメンいや、食べるものが大好きである。食べ物さえあてがっておけば機嫌がいいことこの上もない。
 貴彦の了解を得ることももなしに、摩美は暖簾を潜り店内に入った。すぐ後を、由美が追う。最後に貴彦が渋々後に続いた。

「由美ちゃん、おいしいね」
「おいしいね」
 不味いとは言えないが、果たしてそれほどおいしいのか首をひねる貴彦だった。味覚も気分の問題が大きく左右するのだろう。
「兄ちゃん、ちょっと気になることがあるんだけど」
 由美が真面目な顔をして、貴彦に尋ねた。摩美も箸をとめる。
「商店街ここまで歩いて来て、たくさんの温泉饅頭の店があったよね」
「ああ、ずいぶんあったよな」
「店の看板に、『元祖温泉饅頭』『本家温泉饅頭』『総本家温泉饅頭』と色々書いてあったけど、どれが一番上なの?」
「上も下もないだろう。商魂たくましいだけだ・・・・・いやいくらなんでも、そんなあさはかなことはしないだろうから・・・・・冗談、ユーモアだ・・・・・きっとそうだよ」
 自信なさそうに、貴彦が答えた。
「兄ちゃん、うちは分家だよね」
「ああそうだ、京都の北御門家が本家になる」
「貴舟おじさんが、本家の当主になるわけか? じゃ、総本家はどこ?」
 由美は何故だか本家にこだわる。

 摩美がトイレに行くと言って席を立った。つい先ほど駅のトイレに行ったばかりなのに。貴彦は真剣な表情の由美に答える。
「本家、分家制度は、家を存続させる為に一子相伝させ、他の子に分家を立てさせる。分家は共同体内の一人前の成員として、社会的認知を受ける意味がある。総本家は一族の長かな、我が家でいえば新羅三郎義光の嫡流というところかな」
「どこにいるの?」
「えッ、ちょっと分からんな。今度伯父さんに聞いとこう」
 普通ならここで話は終わるのだが、由美はさらに突っ込む。
「北御門流という武術があるよね、貴舟伯父さんが宗家で、兄ちゃんが免許皆伝。次代の宗家を継ぐことになっているけど、門外不出の一子相伝。これって新羅三郎の嫡流ってことじゃないの」
「そーか、そうなるよな。確かに・・・・・」
「私、分家になれないかしら、北御門流武術の。それとも女じゃだめなの?」
 由美は北御門流の武術の、伝承者になるつもりらしい。
「なれる、なれるとも。昔の社会制度としても、女性の分家は決して珍しいことではない。それどころか、由美が伯父さんの養子になれば、本家、いや総本家を継げるぞ」
 貴彦は思いもしなかったことだった。由美が、それほど武術にこだわるのであれば、彼女の気持ちをくんで、出来ることなら宗家を継いで欲しいと本気に考え始めた。
「宗家はお兄ちゃんが継いでよ。私は武術伝承者のジャズダンサーとして売り出したいのよ」
 由美にとっては、武術はアクセサリーの一つであるらしい。
「北御門流はシャネルのピアスと同じか・・・・・」
 どうやら、貴彦は妹に振り回されてしまう星の下に生まれた宿命に違いない。
「由美ちゃん、これ美味しそうでしょ!」
「わー、かわいい!」
 人形の顔をした。ぺろぺろキャンディーを数本手にした摩美が席に戻ってきた。
「おまえ、何処に行ってたんだ?」
「近くの、土産物屋さんよ」
 摩美はトイレに行った筈ではなかったのか? 姉妹はラーメン屋の店内でぺろぺろキャンディーを舐め始めた。
 貴彦は、何か注意せれるのではないかと心配しながら、店内を恐る恐る見渡した。
 家族旅行はまだ始まったばかりである。

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