永遠に未完の組曲
夕焼けに去っていったの巻(九)



 


 パトカーが三台、ホテルの駐車場に飛び込んできた。車が止まるのももどかしげに、ドアを開け飛び出してきたのは、静岡県警のマル暴担当の安岡警部補であった。
 身長180㎝、体重120㎏の体型の割には、動作が素早い。彼は降り立った刑事連中に指示を出した。三人をその場に残し、四人を引きつれてホテルの玄関の中に入って行った。まもなく、窓を金網で覆われた、マイクロバスが二台続いて駐車場に乗り込んできた。バスの中から、ジュラルミンの楯を抱えて、屈強な男達が降り立った。十数人はいるようだ。静岡県警の機動隊精鋭であった。彼等はその場にいた刑事となにやら打ち合わせをすると、ホテルの玄関を守るように展開した。
 一部の機動隊員は、刑事に導かれ裏口の方に廻る。二人の機動隊員は、刑事に案内されて玄関の中に消えていった。どうやら、ヤクザ間の抗争という最悪な場合を考慮しての展開らしい。ホテル前にどんどん増えてくる野次馬を、ジュラルミンの楯が睨みつけているように見える。


「ま、まてや、落ち着け!」
 どやどやと、足音も激しく宴会場に乗り込んできたとき、出迎えたのは熊田だった。警視庁と静岡県警の対決という訳ではない。つい先ほどまで、熱海警察で二人は旧交を温めていたのだ。
「おお、熊田! どういう事なんだ!」
 宴会場には殺気だった雰囲気は見られない。何事だという顔で皆は飛び込んできた警察の一隊を見つめている。そ知らぬ顔で鍋から肉を摘む者もいる。正面の席では、何時帰ってきたのか石田組長が笑顔を見せている。いかに何でも、警察が踏み込んだ場所で笑顔はないだろう。不自然極まりないといえる。
「発砲事件とは何だ?」
 安岡警部補は意気込み込んで踏み込んだはいいが、いささか勝手違いに戸惑っているようだ。
「警察の皆さん、足下は問題ですね。こんな宴会の席に土足の儘とは」
 イチローが咎めるでもなく、穏やかに話しかけた。言われて安岡と七人は、自分の足下を見た。刑事連中は革靴、機動隊員に至っては戦闘用の長靴である。
 さすがに気まずい思いをしたのか、刑事は靴を脱ぎ、機動隊員は困ったことに簡単に脱ぐわけにも行かず、雑巾を探し出し入り口のところで窮屈そうに突っ立った。もうこの時点で、静岡県警は敗北したも同じだった。

「皆さん、ご苦労様です。私共の従業員が勘違いを致しまして、まことに申し訳ありませんでした。ご覧の通り何事も起こっては、おりません。早とちりをいたしまして、どうかお許し下さい」
 社長の直樹は、丁寧に頭を下げた。安田は疑い深げな眼を直樹に向ける。
「おい、お前からもお詫びをしないか!」
 申し訳なさそうに、初老のフロントマンが怖ず怖ずと前に出てくる。いかにも実直で気が弱そうな男である。
「まことに、申し訳ございません。私の勘違いで、皆様にご迷惑をお掛けし何とも…申し開きのしようも……どうか、お許し下さい…」
「安田よ、そういう訳だ。煩わして、スマンかったな」
 熊田も別に謝る必要もないのに、助け船をだす。安岡が引き連れてきた刑事達は、不安げにボスを見つめる。まるで“どうしましょう”とでも言いたげに。
 安岡は、県警にその人ありとうたわれた猛者である。彼の職業上の感覚に、何か引っかかるものがあるようで、刑事特有の疑惑の眼で宴会場を見回し、120キログラムの巨体を揺らす。ヤクザ達の集団は、不自然なぐらい自然に食事をしている。
 ヤクザが、警察の踏み込んだ場所で静かにしていること自体が明らかに変ではある。
 
由美は何だか可笑しくて仕方がないように、安岡警部補を盗み見する。二人の視線があった。
「ゆ、由美ちゃんだったかな? なんでアンタがここに居るんだ?」
 安岡は、熱海を縄張りにする地回りのヤクザが、この高校生に酷い眼にあったことを思い出した。その隣に坐る堅気の男は、もしや? いや違う。安岡が生まれて初めて恐怖を感じた男に何処か似た雰囲気を持っているが、別人であることを知って、彼は安堵の胸を降ろした。
「組長さんに、招待されたの」
「く、組長さんだと! ヤクザに招待?」
 安岡は、あどけない少女の本性を知っている。まさか、極道女子高生? いやそんな事が有りうるはずがない。彼の困惑は、刑事連中にも伝染したのか、何となく落ち着きを失っている。
「いやいや、ご苦労様。この通り至って平穏、仲良く宴会のさいちゅうであるぞよ」
 総髪を撫で上げながら、近づいてきた加納鉄心御宗家である。宴会場の皆に見せつけるような、大仰な態度である。
「何だ、お前は!」
 安岡は厳しく言った。彼にとってこういう手合いは、ヤクザに寄生するクズだと経験上知っている。
「なっ、何を! その態度は何だ! おれを誰だと思っている。国会議員の……」
「いいから、ゴミは黙っていろ!」
「ご、ゴミだと!」
 加納鉄心は顔を真っ赤にして興奮する。
「先生、どうか警察には逆らわないようにお願いしますよ」
 石田組長が助け船を出した。
「組長がそう言うならば、引かぬでもないが…」
 この刑事は、脅しが効かぬとでも思ったらしく、組長の言葉に従い引っ込んでいった。

 その時、誰かが安岡刑事の肩をポンと叩いた。気づかないうちに背後を取られてしまったのだ! 安岡はドキリと胸が締め付けられる気がした。しかし、彼は驚きのそぶりを見せないようにゆっくりと振り返った。その時、彼の眼に入って来たのは、恐るべき事実であった。
「やぁ、お元気ですか」
 貴彦がニッコリ笑って立っていた。安岡は口を開けたまま、瞬時、金縛りにあってしまった。
「おっ! あっ…あああ…」
 安岡の恐怖の源が立っているではないか。
「お久しぶりですね、今日はまたお揃いで何があったのですか?」
 貴彦は、刑事連中を見回す。何人かが、眼をひん剥いて彼を見つめる。半年前の騒動の時に、貴彦と遭遇したのに違いない。
 静岡県警に取っては気まずい雰囲気になってきた。
 
 その時である。
「兄ちゃん、この人達は先ほどの襲撃者が拳銃を撃った件で来たんだと思うよ」
 突然の出来事だった。この場の空気を無視したように、由美がとんでも無いことを口走ったのだ。彼女はニヤリと笑って舌を出した。
「な、なんだと! どう言うことだ!」
 萎れていた安岡が元気を取り戻し、いきり立った。完全に攻守ところを変え、貴彦は苦虫を噛みつぶす。直木社長は、面を下げ、オロオロと落ち着きを失った。
「由美ちゃん、君はなんて事を…」
 イチローが、由美に耳打ちをする。
「イチローさん、これからが見物よ! おもしろくなるから」
 由美は確信犯だったのだ。
「社長! どういうことだ!」
「いえ…あの…その…何かの間違い…」
「なんの間違いだ! おい、そこの組長さんよ、どうなんだ!」
 安岡は、石田組長に詰め寄る。組長は困った顔で由美に視線を移す。
「刑事のおじさん。そこの屏風の、鳳凰の眼を見てごらんよ、私の言うことが分かるから」 石田組長を始め、イチローまでもが驚いた。それにしても、由美の言うこれからが見物とは一体何なんだろう?

 安岡警部補は、部下の刑事に顎で指図をして、半信半疑の風情で屏風に向かう。
「こ、これは!」
「警部、銃弾の跡です!」
「間違いないか!」
「硝煙反応を調べるまでも有りません。間違いなく弾丸が貫通しています」
「警部、貫通した銃弾はこちらを穿っています」
 屏風の後ろを調べていた刑事が報告する。どうでも良いことだが、安岡は部下に、警部補では無く、警部と言わせているようだ。
 彼は、勝ち誇った顔で石田組長を睨んだ。そのあと、貴彦の様子をチラリと窺った。貴彦も苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。さすがの彼も、ここまで証拠がありながら静岡県警と事をかまえる気はないらしいと、安岡はふんだ。
「おじちゃん、どうだった?」
「いやー、ありがとう。お嬢ちゃんは正直だね」
 おじちゃんという呼びかけは気になるところだが、安岡はすこぶる機嫌がいい。由美は何を考えているのか、ヤクザ連中の非難の視線を浴びながらも楽しそうである。

「おじちゃん、一寸ごめん!」
 そう言いながら、機動隊員を押しのけ入ってきたのは摩美だった。
「あぁ、なにかおもしろそう……お姉ちゃん早く来てよ!」
 摩美が満面に笑みを浮かべて、宴会場の人となった。続いてゲンの顔も見える。その時、安岡の耳に、どこからともなく、ゴールドフィンガーのメロディーが響いてきた気がした。以前、彼は同じような経験をしたことが有ったはずだ。悪い予感がよぎる。
 最後に、典雅な雰囲気を身にまとい姿を顕わしたのは、麗子であった。女王様のお出ましである。入り口で警備していた機動隊員が、気圧されたように自然に道を開けた。
 彼女は場所柄もわきまえず、銀色のナイトガウンに身を包んでいる。踝までの長いガウンは、むしろナイトドレスと言うに相応しいほどゴージャスと言える。ウエストを帯で締めた腰のあたりが悩ましい。長い髪はその腰のあたりまでとどき、歩くたびに優雅に揺れる。彼女は真っ直ぐに安岡に向かう。彼は以前、この美しい女性の怖さを骨身に感じたことがあった。
「姉ちゃん、待ってました!」
 無責任に由美が掛け声をかけた。これから何が起こるかを予想しているのは、どうやら摩美と由美の姉妹だけのようだった。いや違う、警視庁警部補の熊田と貴彦も、心配で堪らぬという顔をしている。

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