身 辺 雑 事

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 何処へ



 

 ホームページで、世間に自分の思いを発信するようになった。始めるにあたりヒロコさんの指導を受け、ずいぶん原稿も書いた。(私にとっては初めての経験)
 あまつさえ、小説などを書こうなぞ思いも寄らなかった。小説を読むことから足を洗って三十年、まさに革命的な出来事である。『生きている人間は、なにをしでかすか解ったものではない』とは小林秀雄の言葉だったと思うが、まさにその通りであり、お恥ずかしい限りである。

 赤川次郎
 ヒロ子さんからキャラクターの立て方について、勉強になるからと、赤川次郎の著書を読むように進められた。素直な私は、直ちに三毛猫ホームズシリーズを五冊買い込み、読み出した。赤川次郎との出会いが、自分の転機となったことは間違いない。
 彼は中学を卒業すると集団就職で東京に出てきた。仕事の合間に小説を書き続け、今日の地位を掴み小説家となったそうである。単なる艱難辛苦のはての成功物語ではない、魂の純粋さを、彼の文章のなかに見いだした。
 自分も彼と同い年生まれである。彼は福岡県、私は隣の山口県で生を受け、中学を卒業した。
私が中学を卒業したとき、卒業生の半数近くが就職する道を選んだ、選ばざるをえなかった。昭和37年、日本は今より遙かに貧しかった。経済的な事情から15歳の彼らは社会に出ていかざるを得なかった。『金の卵』と称されてはいたが。
 東京へと向かう「あさかぜ」「富士」の夜行列車の到着ホームに仲間が集まった。集団就職で関西、関東へ向かう友を見送った。
 「元気で頑張れ!」「バンザイ! バンザイ!」何度もホームへ行って、同じ言葉でバンザイをしながら、友を見送った。
 ある種の、安堵感と罪悪感を抱きながら私は全日制の高校へ進学した。(全日制という言葉じたいが一つの時代精神を表していると思う)

文化人
 昭和41年、私は大学生であった。時は学生運動の真っ盛り、全学連の運動が大変盛り上がった時であった。学生運動には全く興味を感じなかった。詳しい理由を述べると長くなるのでやめるが、学生運動家の顔が皆同じに見え、皆がオウム返しに同じことを喋っていると感じた。体育会系の運動部員にも全く同じ感を抱かされた。
 学校はロックアウトで入れず、身の置き場の無かった私は、その時まで、殆ど縁の無かった、詩、小説の世界へ入っていった。実際、読書は子供の頃から大好きだったが、文学には全く縁が無かった。
 四~五年間、夢中になって文学を読んだ。そして、四~五年でやめた、以後ほとんど小説を読まなくなった。井上靖と司馬遼太郎を細々と読み続けたぐらいである。
 よって、私の知っている小説家は吉行淳之介、安岡章太郎。詩人は山本太郎、黒田三郎までである。
 ある時をさかいに、いわゆる文化人を軽蔑するようになった。彼らは口舌の徒であり、特権意識の亡者だとさえ思はれた。 
 「東京の空気は汚れている。大田区から川崎の京浜道路はさらにひどい。仕事だからしかたなく行く。湘南にある自宅に帰るとまずシャワーをあびる。汚れた空気が洗い落とされるようで、やっと人心地がつく」と公言した作家もいる。
 公害の被害がマスコミに喧伝されだした。深刻な事態であった。江戸川、隅田川、神田川、多摩川等、河川の状況はひどいありさまであった。私も憤慨し、嘆いた。
 この事態にたいする、文化人の反応はきわめてエキセントリックだった。非人間的だと罵った。その代表が前述の「東京の空気は・・・・・」の作家であり、大なり小なり、文化人の反応は同じように思えた。そして世間は彼らに喝采のエールを送った。

 しかし、すぐに気づいた。現実にゴミゴミした工場地帯の片隅で、汗と油にまみれ必死に働いている人々は、夜汽車のホームで「バンザイ!バンザイ!」で見送った友だ。 
 戦後の焼け跡から、日々の暮らしに追われながら、ひたすら働き続けた父母達だ。
 人の才能を認めるのはやぶさかではない。いや尊敬にあたいする。
 文化人と称される人々の、日々の努力、研鑽も生半可ではないはずだ。彼らの生み出す作品が人々に夢を与え、感動を呼び起こし、一時の安息を与えることは本当に素晴らしいことだと思う。
 しかし、彼らがそのよって立つ世界は何なのか? 汗と油にまみれ、公害のまっただ中で働いている、父母、友、無数の人々に支えられ発展してきた社会ではないのか。
 その社会の上澄みの綺麗な場所と果実を享受しているのではないか? 享受してもよい。いや日々の研鑽と社会的影響力を考えれば、積極的に享受すべきだと思う。  
 しかし、もの言わず、底辺で社会を支え続けた友たちに感謝の念を持って欲しい。ただそれだけのことである。
 特権意識の高所から、友たちを見下す行為は許し難かった。

特権意識
現在、文化人という言葉も死語になったようである。そのサロン的な雰囲気は決してきらいではなかったが。
赤川次郎を知った。彼の著作からは特権意識から人を見下す匂いは全く感じられない。この点に関してだけは、多少神経過敏の私が言うのだからほぼ間違い無いと思う。
 最近、本屋にいくと今まで眼にもしなかった、小説本のコーナーに足が向く、百家争鳴まさに色々雑多、あらゆる才能が溢れている。そこには、妙な特権意識も、文壇というサロンの匂も、希薄に見える。純文学、大衆文学の垣根もなさそうである。   日本の社会も庶民も健全であったと嬉しい限りである。ましてや、インターネットの世界で私ごときが小説を書くのである。これは混乱ではなかろうか? だとすると次には社会的連帯感の喪失がくるのでは? と、おじさんは余計な心配もしてしまう。

特権意識、差別意識は社会の隅々にまではびこっている。人間ほんらいそれを持っている。決して悪いこととは思わない。いやむしろ社会がダイナミックに展開するには必要不可欠とさえ思っている。ただし、人を見下すこの一点だけは、許せない気がする。
 例を上げさせて貰えば、ホームレス。かれらを罵るのも結構。バカにしても良いと思う。私もそうする。しかし、心の奥底で彼らを、老いて戦えなくなった戦士、傷痍軍人と思う気持ちを持つべきだと思う。いや持って欲しい。
現代日本において、いやな特権意識をもっている人々は、法曹界に多く見られる。
裁判官、検事、弁護士である。数多くの事例があるが不愉快なのでやめる。

ようするに
読書は好きである。しかし、この三十年来、読書傾向がノンフェクションの方に偏ってしまった。
 心理的には体育会系の良い面(悪い面も多くある)。単純さと明朗さにあこがれを抱きその方向を目指した。
 身体的には武道に力を入れ、たゆまず続けてきた。

 ところがなんと、この私が平成14年、ホームページを開き社会に思いを発信するようになるとは! あまつさえ、ヒロ子さんの進めで、小説のまねごとを始めるとは!
 書いたものを読んで見る。お恥ずかしいが、とても小説になっているとは言い難い。
 「いいから書きなさい。そんな講釈は、一万枚書いてから言いなさい」とヒロ子先生は叱咤してくれる。
 「ストーリー、そして空想したことを書くのが基本。場面を思い浮かべて、解説ではなく、描写しなければダメ!」
 空想ではなく、妄想することは良くある。場面はアダルトビデオになってしまう。
 いったい、どうなることやら。
何処へ。 何処へ。




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